あとがき

 
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 自分の詩(らしきもの)を読み返してみると、これがこの年の男が書いたものかと、我ながら恥ずかしい。
詩の技巧も何もなく、ただ感情的な言葉の羅列に終わっていると思う。
一瞬アップ・ロードは止めようかとも思ったのだが、房子に対する心情は直裁に述べられているので、詩というより「ある男の嘆き」なんだと割り切る事にした。詩はともかく、房子の病院での様子の記録として最低限の役には立つと思う。
何しろ人間の記憶というのはあいまいで(特に僕は)、最後にはイメージしか残らなくなってしまうが、ちょっとした具体的な動作や言葉がどうだったかを思い出す事は死者を弔う上でとても大切なような気がするからだ。
まだ未整理の言葉どもが何編か残っているので、今後も更新は続けるつもり。

房子は僕にとって親友のような存在でもあった。旅行に行っても、外食しても、家でおしゃべりしていても、いつも楽しかった。
よく言われるように、結婚は喜びを倍にし、悲しみを半分にする、は真実だと思った。
僕が社会運動を始めたり、個展をやったり、コンサートを企画したり、といろいろやっている時、いつも協力的だった。そうそう、絵を始めたのも、彼女が自分の油彩道具を提供してくれたからだった。

いろんな方から奥さんを亡くしても落ち込まないでね、と好意的なアドヴァイスを貰った。
僕自身、自分は精神的に強い人間だし、趣味も沢山あるから大丈夫と自負していたのだったが、葬儀の後のごたごたが少しずつ片づいてゆくにつれ、あれ、どっかおかしいぞ、力が入らない、どこか倦怠感も、・やはり僕も皆と同じなんだろうか。・・・・・・・
しかし、このホーム・ページを作っている最中は集中出来る。・・・房子への鎮魂でもあるし、房子を愛して下さった方々への最後の報告でもあるし、この文を読み返している時間は真面目に房子と向き合っている気がするからなのだが。・・・・・・

毎年1月4日は必ずこれを読んで房子を思う事にしようと思う。世界中のどこにいてもすぐに読めるのは本当に便利である。

全くとりとめない文となってしまいましたが、 今まで読んで下さった事に感謝します。

 

 

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