その後のわたし

 
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 房子を亡くしてから5年の歳月が流れました。

当初は落ち込んでいた私ですが、幸いにも同じく愛妻家であった城山三郎氏のように重篤なものにはならずに済みました。

これは多分、妻が生きているうちから、妻のことをいろいろ思いやり、一生懸命に詩作した事が良かったのだと思います。

人間はどんな悲惨な状況下でも美しいものや崇高なものを感じ取る力を持っています。フランクルが「夜と霧」の中で述べていたと思いますが、彼は何時殺されるかもしれない収容所においても夕日に感動したりする人達を目撃しています。それと同様に、妻の死と向きあう厳しい状況下でも、自分の思いをうまく表現できた時、少しの悦びのようなものを感じます。斉藤茂吉が母の死に接して「死にたまふ母」を詠んでいますが、同じだったのではないでしょうか。

そのような詩作の悦びに支えられて作り続けるうちに、妻の死を現実として捉え、向き合い、妻と納得ゆくまで心を通じ合わせる事ができるようになっていったのだと思います。

これは、妻がいなくてももう平気だ、というのとはちょっと違います。私はいまだに、妻に会えるならすぐ死んでもいい気持ちです。でも、取り敢えずは大きく落ち込まずに目先に小さな目標を持って頑張る事が出来る・そんなところです。

 

 今、私は小さな画廊を建て、そこに自分が制作した絵や写真や蒐集した陶器類を並べて他の人に見て頂いたり、希望する方にはお貸ししたりしています。また、ミニコンサートをすることもあります。今までに、ソプラノ独唱、ギター、ジャズトリオ、ブルースハープ、フルート、ハープシコード、etc・・といろいろやって来ました。

そして、そこによく足を運んで下さる常連さん達とそこでパーティーをする事もしばしばです。そんな時は、妻が入院した時に覚えた料理の数々が役に立ちます。画廊を作ることによって出来た友人達と一緒に呑むのも楽しいものです。勿論妻が生きていたらもっともっと楽しいでしょうがー。

 

 私は近年は淡彩による風景画や花の絵を描いてきましたが、

昨年意を決して抽象画に挑戦しました。画材はアクリル絵の具です。自分としては納得できる仕上がりだったので、以前から憧れていたフランスのサロンドートンヌに出品しました。運良く初出品で入選となりました。パリまで見に行きましたが、会長さんからとても良い評価を頂きました。

これに力を得て、まだ力があるうちに傑作を沢山残さねばという気持ちになり、今年に入ってからは画廊をお休みして、専ら絵の制作に励んでいます。夏には個展をする予定です。

2012年5月の私の状況はそんなところです。

大きな変化がありましたらまた報告します。

 

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