本 編   「違和感」 「日記」 「今からでも」

 
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1月16日   違和感


房子がまだ生きている頃から
ねぎらいの言葉を掛けられると
僕は妙な違和感を感じていた
時には多少苛ついたりした

長い間僕は
その気持ちを理解しようとしなかった

しかし
房子が天に帰ってしまい
何もしてあげられなくなった今
ようやくその理由が分かった

僕はこう答えてあげるべきだったのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・
房子の看病は重荷ではありません
僕の生き甲斐なのです・・・と

 

 



 

 

1月17日   日 記


房子の葬儀が済んで10日経ち
葬儀屋さんが祭壇を片付けに来たというのに
僕はまだ一つの事を悔やみ続けている

8月のある日
僕は房子の枕元で
久しぶりに日記を付け始めた事を話した

房子はすかさず
私の事も書いてある と尋ねた

僕は照れもあって
少しはねと答えた
・・・・・・・・・・・・・・・・

あの時どうして本当の事を言わなかったのだろう
百パーセント房子の思い出のための日記だったのに
・・・・・・・・・・・・・・・・

僕の答えでがっかりしたのではないだろうか
本当の事を言えば
喜んでくれたのではないだろうか

僕も房子も
押しつけがましい事は嫌で
さり気なさを良しとしているところがある
それが僕の返事に繋がったのだが・・・・

でも
いまだに心に引っかかっている

 

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 1月31日  今からでも


房子が亡くなる前は
一日も早く
彼女が苦しみから解放されて
天国に行けますようにと祈っていた

しかし
それが実現した今になっても
僕の心は晴れない
毎日毎日
心の中で呟く

ああ房子かわいそうに・・・・

彼女が亡くなって
もう一ヶ月近く経つというのに
毎日毎日
寝床で考えている事は
何なんだろう

今日になって
この気分の源が
分かった気がする

僕は後悔しているのだ
房子と全てを分かち合おうと思っていても
それは単なる言葉だけの事だったのではないか

房子が苦しんでいた時
僕は談笑していた
僕は美味しいものを食べていた
僕は美しいものに見とれていた
僕はきれいな音楽に満足していた
・・・・・・・・・・・・

人は
看護には気晴らしも必要ですという
それはそうかもしれない
でも
申し訳なさは消えて無くならない

ああ房子かわいそうに・・・・

僕は無意識に
今からでも
房子の苦しさを
房子の辛さを
十分に
実感したいと
望んでいるのかもしれない

 

 


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