本 編  「アヴェベルム・コルプス」  「帰宅」  「葬儀」

 
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1月3日   息子からのさようなら

 息子夫婦と娘と房子のところへ行く。息子夫婦は今日帰るので最後の別れに来たのだった。「来たよ」と声を掛けると、一瞬目を開けるものの、あまり反応がない。水を飲むかいと声を掛けるとかすかに頷く。何しろ、口を開けたまま息をしているので、口の中はからからのようだ。
むせないように、太めのストローで水を取り、はいあーんしてと声を掛けつつ、数CCずつ口へ流し込む。1度目は二口目でむせてしまい可哀相な事をした。2度目は三口目でむせてしまった。むせるとややしばらく苦しそうにしている。
息子の希望で二人だけにして欲しいとの事。息子だけ病室に残し我々は休憩室へ。きっと人前では言いにくい愛情のこもった別れの言葉を言いたかったのだろう。

 

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1月4日   臨 終

 僕は、深夜、早朝、今朝と3度にわたって沢山吐いた。ひょっとしてノロウイルスかもしれない。だったら今日の病院は休んだ方がいいかなと思っていると、 病院から電話。房子の血圧が下がってきており、尿も減り始めた。この調子ならご家族の方が付いていた方がいいと思い電話しました、との事。とうとう来た か、これは這ってでも行かねば。(14時記す)
 

 14時40分急患受付で待っている私の携帯が鳴る。妻の看護師から、すぐ来て下さい。娘と病室に駆けつける。血圧が下がり、脈も低下しつつある。まだかろうじて呼吸はしていたが、間隔が長い。
次第に呼吸間隔が長くなり、脈もゼロになり、心電計も振れなくなり、3時の呼吸を最後に息を引き取った。
医師の診断では死亡時刻1月4日15時04分。
感傷に浸っている間もなく、息子、妻の実家、親戚、教会関係者へ連絡する。
10分ほど妻とお別れをした後、医師が遺体の手当をして下さる。
知人が連絡を取ってくれて、葬儀社が妻の遺体を引き取りに病院へ来るというので、娘と大急ぎで荷物をまとめる。Nさんが来て手伝ってくれる。
17時 ベッドごと霊安室に運ぶが、看護師さんの他、主任のドクターもベッドを押し、更に車に移し替える際にも力を出して作業して下さる。有り難い事だ。 こうして妻は家に帰ってきた。

 

 教会関係者が数名集まってくれて、今後の事について相談する。土曜日の午後の告別式一回のみにこだわったので1月6日午後2時に決まる。これを基に焼き場は7日(日)となった。



 

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1月4日  アヴェベルム・コルプス


CDプレーヤーから
賛美歌が小さく流れている
酸素吸入器のぶくぶくぶくという音が
通奏低音のようだ

片づけ忘れたクリスマスのお飾り達が
窓ガラスに張り付いている
ジェルで出来た大小さまざまな星達
白い雪のような羽根製のリース
赤い木の実や柊のリース
粉砂糖をまぶしたようなおもちゃのランプ・・・

 

急を聞いて駆けつけた
私と娘が見下ろす中
房子の呼吸間隔が少しずつ長くなってゆく
脈も弱くなってゆく

遠慮がちに声を掛けるが
反応がない

聴覚は最後まで残っているという
医師の言葉を思い出し
別れの言葉をかける

今までありがとう
君と居て幸せだったよ
・・・・・・・・・
そして額に接吻する

房子は
静かに静かに
眠るように息を引き取った・・・
2007年1月4日午後3時4分

房子が最後に聴いた音楽は
モーツアルトの
アヴェベルム・コルプスだった

合 掌

 

 


 

 

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1月4日   帰宅


 

房子が帰ってきた
ようやく
ようやく
念願の我が家に
・・・・・・・・
冷たくなって

家に帰りたいという
強い気持ちがありながら
それが困難と分かると
二度と口にはしなかったけれど

どんなに病室を
花で一杯にしたり
クリスマスツリーやリースで飾り立てたり
子供達からのカードや写真を並べたりしても
やっぱり
質素であっても
自分の部屋が良かったんだろうと思う

でも 今 房子は
僕と同じ屋根の下にいる
身体は冷たくなっているというのに
魂は天に旅立ったかもしれないというのに
家族がまた一緒になれたという
不思議な安堵感がある

振り返ってみると
僕は今まで
二つに引き裂かれていたのかもしれない
僕の家と
妻のいる病院とに
そしてそれらが今日
久しぶりに一緒になったのだ

 

 

 


 

1月5日   入 棺

 朝から関係者を中心として、いろいろな人が訪れる。朝ご飯を食べる暇もない。花も沢山届く。葬儀社の方が、カードを作ってはどうかと言って下さったので、房子の写真入りの挨拶状を作る事に。《印刷は深夜までかかったが、体調不良で9時頃就寝し、後は息子に頼む。》
 間に合うように、おつまみ類、酒、ソフトドリンク等の買い出し、寿司の注文などに走る。
午後5時の入棺までに、息子夫婦、娘の夫、従兄弟、教会関係者集まる。入棺の際は教会の方々が祈り、聖歌を歌って下さった。女性の湯灌師の方が房子を整え てくれたが、きれいに化粧した顔は生前同様美しかった。痩せないようにドクターが高カロリーの点滴を続けて下さったのはこのためもあったのだろうかと、ふ と思った。入棺の式後房子の棺の前で皆で会食する。房子の高齢のお母さんが入棺を済ませた頃到着したが、棺の中の房子を見て「ちょっとこれふさちゃんじゃ ないの」と言ったのが切なかった。子供に先立たれた親の気持ちはどんなであろうか。あまり知られていないが、ドヴォルザークのスターバト・マーテルは隠れた名曲 で今の状況、僕の気持ちにぴったり。



 

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1月6日 葬 儀


ゴシックの教会に
フォーレのレクイエムが
静かに流れ

祭壇には
生前と変わらぬくらい
美しく化粧した房子が
白い花々に埋もれるようにして
横たわり

黒い喪服を着た友人達も
壁に並ぶ聖像達も
沈黙して
耳を傾ける

僕は
房子との出会いから今までを
淡々と語ってきたが
途中で詰まってしまい
次の言葉を
どうしても口に出す事が出来ないでいる
・・・・・・・・・・
こみ上げる熱い思いは
ぽたぽたと足許を濡らす

房子への同情と 無念さと
あきらめと 虚脱感とが
複雑に入り混じり
僕は自分の感情を制御出来ないでいる

しばしの沈黙の後
ようやく震える声をしぼりだして
とぎれとぎれに言葉をつないだ

もう・・・手術は・・・できないという
医師の言葉で・・・・
ああ・・・終わったんだと・・・・思いました

この時点で
希望という文字は
僕たちから去ってしまったのだ
そして
更に苦しい辛い日々がスタートしたのだった

この日からの絶望の2ヶ月間を
房子は泣き言一つ言わず
苦しみながらも本当によく耐えた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして
今は静かに
穏やかな顔で
花に埋もれて横たわっている
好きだった音楽を聴きながら

僕は心の中で
房子に語りかける
君の苦しみを
十分に背負ってあげられず
ごめん
もっとしてあげられる事が
あったような気がする

 

 

 

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