本 編  「モルヒネ」  「寝たきりに」  「ひどい話」

 
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12月4日    モルヒネ

この痛み止めモルヒネですか?

房子の突然の問いに
若い医師は一瞬とまどい
返答に窮したようであったが
一呼吸置いて頷いた

房子は自分の置かれている状況を
きちんと把握したいと望んでいたし
それに耐えるだけの冷静さと
強い精神力を備えていた
だから医師は
何も躊躇する必要はなかったのだ

とは言え
房子はこの件を淡々と語ってはいるが
来るべきものが来た
との感は免れなかっただろう

モルヒネ
それは
最後にたどり着く
大きなあきらめと
ささやかな慰めの
結晶なのだから

 

 



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12月5日    寝たきりに
 
    

眠そうな
焦点が定まらない目で
妻は僕に
ゆっくりと話しかける

お腹から胸がとても痛いと言ったら
モルヒネの量を増やしてくれたの
それに
すぐそこのお手洗いに行って戻ってくるだけなのに
はあはあ息切れがして辛くて
看護婦さんが
尿カテーテルにしましょうって
・・・・・・・・・・・
これで寝たきりになってしまった・・・

回復手段が全て絶たれてしまった今
寝たきりになるという事は
死への確実な一歩を踏み出したという事だった
房子はそれを誰よりも自覚していた
言葉の語尾は
諦観とも 静かな嘆きとも思われるイントネーションで
締めくくられた

僕は深く頷きながら目を落とし
口にすべき言葉をいろいろ探していたが
ふと気づくと
房子は目をつぶって うつらうつらしている

僕は
二人の間に残された時間は
もうそんなに長くはない事を悟った

肉体の死は
いろいろな手段で
引き延ばす事は出来るかもしれない
しかし
僕たちが共感を持って語り合える時は
着実に減少しつつあるのだ

僕は思いきって
房子を起こして聞いた

君がはっきりした状態で僕と話せる時間は
そう長くはないと思う
今の内に
残された人たちに
伝えて欲しい事は無いかい

房子は頷いて
しばし考えた後
とぎれとぎれに言った
・・・・・・・・・・・・
妹と母には・・・ありがとう、そしてごめんなさい
                     (房子涙ぐむ)
・・・・・・・・・・・・
子供達には・・・思いやりのある子供達で感謝しています
お母様には・・・いつもいろいろお世話下さって有り難うございました
・・・・・・・・・・・・・
お友達には・・・一人一人名前を言えないけど、今まで親切にして下さってありがとう
病院の方々には・・・主任のドクターはじめ皆さんには感謝しています
・・・・・・・・・・・・・

君と結婚出来て本当に良かったよ
・・・・・・・・・・・・・
こんな病気になったのに?
・・・・・・・・・・・・・
そんな事関係ないよ・・・
定年退職したら何にも縛られずに
いっしょにあちこち旅行できると思っていたけど・・・
・・・・・・・・・・・・・
行ったらいいわ
・・・・・・・・・・・・・
えっ
・・・・・・・・・・・・・
私も一緒に旅行するわ
・・・・・・・・・・・・・
千の風になってかい?
           (房子頷く)


貴方には・・・一番感謝しているわ、世界一の夫です



照れもあって、今まで率直に感謝の言葉を口にする事はなかった。またそれ を口にする事が「お別れ」を暗示しているようでもあり、尚更であった。いつか伝えたいと思いながら、互いに躊躇して先送りしていたんだと思う。今日お互い に話し合えて良かったと思う。この機会を逃しては一生後悔したであろう。


 

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12月7日   ひどい話


今日の房子は少し元気だ
朝からあった事を
ゆっくりではあるが
いろいろ話してくれる
久しぶりに身体を洗って貰って気分がいいのだろうか
それとも
輸血でいろいろ数値が上がったおかげだろうか

そうそう貴方にとっていい話があるの
看護婦さんのSさんが私にこう聞くの
・・・・・・・・・
昨日息子さんいらしていたのですか?
・・・・・・・・・
いえ、来ていないけど
・・・・・・・・・
あ、そうですか
息子さんが来て足のマッサージをしていたって
看護師のWさんが言ってましたけど
・・・・・・・・・
まあひどい、それは夫よ
・・・・・・・・・
そうですよねー親子と間違えるなんて

にやにやしながら僕は慰める
それは君が年齢より老けて見えるって言う事じゃなくて
僕が若く見えすぎるっていうことだよ
・・・・・・・・・
でもあの看護師さん
ぶ厚い眼鏡を掛けていたから
きっとよく見えなかったんだわ
・・・・・・・・・
君は今でも年齢より若く見えるから
心配しなくても大丈夫
悪いのは
見間違えた看護師さんじゃなくて
若く見える僕の方だよ
あの看護師さんはいい人だ・・・うん

房子は納得出来ない顔をしている
でも本当に怒っている風でもない



12月8日   

(モルヒネを増量したのを知り、意識がはっきりした状態でお別れ出来る期間がそう長くはないと感じ、肉親に連絡をする。娘夫婦と赤ちゃん達が今日着き、夫君以外はしばらく滞在するそう。房子の母と妹は10日に、息子は16日に来るとの事。)



  

                  

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