|
|
１２月１１日 縫い跡
房子のきれいだったお腹は
何回もの手術で
縫い跡だらけである
何度の手術でも取りきれなかった腫瘍は
増殖を続け
腹腔一杯に拡がり
それでも飽きたらずに
皮膚の弱いところを押し上げてくるので
房子の滑らかだったお腹は
ぱんぱんにふくれ
そして
でこぼこである
これに何本ものカテーテルが繋がる
胃から 肝下面から ダグラス窩から 肺から 横隔膜から
こんな見た目の悲惨さに
これ以上治療方法無しという
絶望のオブリガートが加わる
しかしながら房子は
己の悲惨さ故に
己の絶望故に
涙を見せる事はない
ぼろぼろな肉体へと壊れつつあっても
精神の高貴さは
ますます輝きを増しているようにさえ見える
娘や姪達の出産について
語っている時であった
珍しく房子は
はらはらと涙を流した
私が大丈夫かいと
声を掛けると
ううん 違うの
私じゃなくて
あの子達が
けなげに困難と戦っているのを思うと
つい いとおしくて
一人は英国人と結婚し
遠く異郷の地で
一人は前置胎盤
を心配しながら
出産に臨んでいる
一人は２つの子を抱えながら
出産を終え必死に子育てを始めた
房子は
いつもこんな風だ
自分よりも
他への思いが優先する
１２月１３日 愚か者
おい、腫瘍たち
私は絶対お前達を許しはしない
妻の身体の中で増殖し
増殖を続けて
妻の身体を
今まさに崩壊させようとしている
お前達はいったいどこから忍び込んだのだ
どこがにくくて
妻の身体を破壊するのだ
お前達は勝った気でいるな
しかし、そうじゃないぞ
お前達は愚か者だ
私と妻がお前達との共存を望んだとき
お前達も自制を考えるべきだったのだ
そうしたらお前達も
あと２０年は生き続けられたろう
しかしお前達は
一方的な自己増殖を選択したのだ
その結果どうなるか知っているのか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お前達も死ぬのだ
しかも
妻の身体が焼かれるとき
妻の思い出や
遺した者達への愛情は
妻の身体を離れ永遠の命を得る
しかしお前達は違う
お前達はただ死ぬのだ
何の痕跡も残さず
永久に消滅するのだ
ざまあみろ
１２月１４日 アドヴェント
房子が元気な時は
病院のドクターや看護師さんについて
いろいろ話してくれた
ドクターは
チーム医療なので沢山やって来る
親身で誰にでも優しいチーフ
背の高い人
お国なまりの強い人
ふらっと現れてよく雑談しに来る人
毛が薄くユーモアのある人
看護師さんは
てきぱきとよく気の付く人
優しくいたわるようにしてくれる人
ユーモアのある愉快な人
力のある人
元気印で部屋を明るくしてくれる人
みないい人ばかりだ
患者の人格を尊重して
寄り添ってくれる温かさがある
房子はいつも感謝している
僕はその何倍も有り難く思っている
今日
クリスマスも近くなってきたので
妻によく見えるようにと
窓の高いところに
クリスマスのお飾りを留めていた
娘は
そんな事しちゃっていいのと怯えている
そこに
若い看護婦さんが入ってきた
びくびくしていた娘が
こんなの貼っちゃっていいですか？と尋ねる
看護婦さんはにこにこしながら
どうぞどうぞ 貼っちゃえ貼っちゃえ！！
と励ましてくれた
おかげで
部屋の雰囲気は
いっそう華やかになった
貼り終えて
クリスマスの音楽を流した
妻にも
この病院の方々にも
そして他の入院患者さんにも
よいクリスマスが来ますように
１２月１５日 不 実
笑っている最中でも
旨い物を食べている時でも
美しい風景に見とれている瞬間でも
房子がベッドで苦しんでいる事を思い出すと
とたんに
私を癒している事どもは消え去り
きゅっと胃が締め付けられ
悲しく味気ない灰色の世界に蹴落とされる
おお神様 何ということでしょう！
一瞬でも
房子の苦しみを忘れていたこと
お許しください
１２月１６日
（神父さんに来て頂いて２度目の病者の秘蹟を受ける。姉、妹、母、娘、それに僕が立ち会う。息子はそれには間に合わぬが、夕方には来るとの事。最後の別れだろう）
次ページ
|
