8月23日 ICUにて
集中治療室に入ってゆくと
房子は酸素吸入器を付けていたが
それをはずしていろいろ聞きたがる。
僕を見つめながら
かさかさした小さな声で尋ねる
今日は何日?
今何時?
手術からどれだけ経ったの?
手術はどうだったの、腫瘍沢山取れた?
昨日話した事は何も覚えていないと言う
病室で注射されて以降今までの
二日間の記憶の空白を
しきりに不思議がっている
腫瘍が沢山取れ
お腹が少し平らになったから
きっと 退院して
レストランに行けるよ
房子 目を輝かす
8月24日
房子の所へゆくと、僕を見て目を輝かせた。手を握ると冷たい。僕の手が温かくて気持ちいいと言うので、しばらく握っていてあげる。「看護婦さんが、貴方との年齢関係を聞くので同い年だと言うと、ほんわかと仲が良くていいですねって」
主治医のドクターが来て、遺漏にしてあるので水は飲めますよと言うと、房子は出にくい声で、すかさずジュースはどうでしょうと尋ねる。
澄んだものなら、とジュースの許可が出たので、早速ウーロン茶とリンゴジュースを買いに行く。
8月28日
病院へ行くと、房子はICUから元の個室に戻っていた。肺からのチューブが一本はずれていた。他はまだのようだ。リンゴジュースを飲ませてあげて、ハープ音楽をかける。
8月31日
29日から遺漏を一時止めて水のようなおかゆを食べていたが、調子が悪く、検査した結果、小腸に穴が開いている事が判明。
食事はストップし、点滴で栄養を摂り、穴が自然に塞がるのを待とうという事になりました。今、更なる手術は無理ということでした。胆汁もチューブから沢山
排出され、黄疸もあるようです。
自室に戻ってからの唯一の楽しみは読書ですが、幼い頃からの習慣で読書スピードも早く、調達係の僕は頻繁に書店に行ったり図書館に行ったりしました。平均して一日で文庫本一冊を読んでいました。どんな本でもいいわけではないので結構選定に苦慮しました。
読むものが無くなってくると、非常用に持ってきていた英語の洋書を読むのです。洋書は読むのに時間がかかって長持ちすると言っていました。
9月4日
房子は目も落ちくぼんで大変にやつれている。声もかさかさで、話すのもようやっとだ。相変わらず胸が締め付けられるようで
苦しく、呼吸が十分に出来ない。何とかわいそうな事だろう。ややしばらく沈痛な気分で毎日を過ごす。遺漏を再開したのでジュースは許可がおり、グレープ
ジュースを買ってきてあげる。
9月6日
房子は看護婦さんに話す。「チューブを全部引っこ抜いて、飛び出していきたい!」
何度もクレープを焼く夢を見たそうな。
クレープの元に卵を入れてフライパンで薄く焼き、泡立てた生クリームとバナナの薄切りを包んで食べるの。
それか、何枚もクレープを焼いて生クリームを塗りながら重ねて切って食べるの。
うんそれは美味しそう。冬のパリの街角でもよく見たよね。退院したら是非実現しようね。
9月12日
房子は最近ずっとそうであるように、今日も熱が38度以上あり元気がない。熱を下げる注射をするのだが、その内また上がり
始め、一日に二回高熱となる。向こう向きになったまま「いやんなっちゃった。早く何とかなりたい。」と小さな声で呟き、目をぱちぱちさせている。本当に辛
いのだろう。何か言ってやりたいが、言葉が見つからない。ようやく 「頑張ってすき焼きやクレープを食べるようにしなくちゃね」と言うと、少し表情が和む。
9月15日
房子の所へゆくと、キャラメルのお許しが出たので、キャラメルを買ってきて、と少し元気そう。
よほど楽しみにしていたのだろう。キャラメルの顔をした貴方が来るのを想像していたの。
確かに僕の顔は四角いがキャラメルに例えられたのは初めての経験だ。早速売店へ行ってキャラメルを買ってくるが、洗面所の鏡をじっと見てしまった。
10月15日 ホタテをつるっと
食べたいのに
食べられない
これはどんなに辛い事だろう
房子は
もう50日以上それと戦っている
手術以降毎日のように
一日2回 熱が上がるのだが
その熱が下がってくると
空腹感が強くなる
房子は言う
ホタテといくらが食べたい
ホタテはお醤油につけて
つるっと食べるの
いくらはそれだけでは美味しくないから
ごはんに載せて・・・・
そうそう 軍艦巻きにして食べるの
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でも お稲荷さんだけでもいい
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今にきっと良くなるよ
そうしたら
一緒にお寿司屋さんに行こうね
ええ でも
食べる事が出来ないまま終わっちゃうような気がして
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何も食べなくていいから
早く自由になりたい!
10月20日 夢
今日の房子は少し元気だ
夢に見た事を話してくれた
子供の頃だと思うけど
お天気の日
裸足で舗装道路の上を走っているの
思いっきり 自由に
とてもいい気持ちだった
ハワイのような南の海だと思うの
真っ青な空に
金色の大きなトンボが飛んでいて
ふとこっちを見ると
銀色のトンボもやって来て
その裏側が赤い色なの
丁度モロゾフのチョコの包み紙みたいに
その青い砂浜を歩いて行くと
向こうから
貴方が魚を下げてやって来るの
きっと 買ったか貰ったかしたのね
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それだけなんだけど
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房子は
走るのが得意だった
流石に大人になってからは走らないが
散歩が好きで
遠くまで歩いた話をしては
家族を驚かせた
ベッドから一歩も出られなくなり
歩きたいという欲求は
悲痛なまでに
高まっているのだろう
何とか歩かせてやれないものだろうか
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足の裏のマッサージする?
うん と頷く
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