春の別れ
春はいくつになっても、胸がときめく季節だ。身を屈めて厳しい冬を耐え忍んできた北国に住む者にとって、とりわけその思いは強い。一方で春の訪れは年度を境にして、終わりと始まり、別れと出会い、不安と期待とを交差させる。
三月になると、毎年のように思い出すことがある。それは東京最後の春の思い出だ。東京にいることの目的を失い、帰郷することになったその日、ボストンバックとギターケースを抱え、中央線・三鷹駅のホームに立っていた。桜の花がほころび始めたとはいえ、その日は薄曇りの肌寒い日で、空から重たそうな雪が降り出していた。なごり雪だった。電車に乗り、ぼんやり窓の外に目を遣った。高校の頃、あれほど憧れていた東京であったが、車窓越しに見える街並みはよそよそしく他人行儀に見えた。遠ざかってゆく街と一緒に、自分の心からも東京が遠く離れてゆくように感じた。
あの春からもう三十五年も経った。いつもの年であればこの時期、卒業式・終了式、そして異動する職員の送別会を終えた職員室は役目を終えた書類をシュレッダーにかけたり、机上を整理したりする作業が始まる。卒業生や転出する同僚たちへの惜別の思いや感傷にちょっぴり浸りながらも、その時ばかりは一年を終えたことの安堵感で、誰もがホッとしたような穏やかな表情を見せる。
だが、今年の春はいつもとは様子が違う。一年を終えた後のつかの間の安らぎに浸るヒマもない忙しさに日々追われている。この四月からの統合に向け、弥生小学校校舎から統合校舎への移転作業があるからだ。校舎の移転というのは、モノだけ運べばいいというものではない。それまで培ってきた歴史や伝統、校風といったものも、新しい校舎へと引き継がねばならない。そんな責任のようなものを感じながら、作業に励んでいる。それが終われば、いよいよ思い出つまった校舎ともお別れである。
そして、十年以上も書かせてもらった『立待岬』の執筆も今回で終わることになった。最初に書いたのは、長野冬季五輪があった一九九八年の春。その頃はまだ、「戦争の二十世紀」から、もうすぐ「希望の二十一世紀」になるのだという大きな期待を抱いていたのだったが。
さて、弥生三月も終わりだ。すぐそこまで新たな出会いの春がやってきている。長い間のみなさまのご愛読に多謝。
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