苦しい時こその文化

 今、中島健蔵『回想の文学』という昭和の初めから終戦に至るまでの回想集を読み進めている。これまでも作家たちの戦時中の日記などを読んできたが、「検閲や弾圧が来る前に、なぜもっと早く大きな声を上げなかったのか」という疑問をずっと抱いていた。
 その理由はいろいろとあるのだが、強く感じたのは、時代の空気が大きく一つの方向へと進んでゆく時、公然とそれにひとり異議を唱えることの難しさだ。
 大正デモクラシーの影響が残っていた昭和初めまで、文学者の間での自由闊達な活動は比較的行われていた。しかし、満州事変が勃発し、五・一五事件が起きると、国内の空気は一気に「右傾化」してゆく。昭和八年の小林多喜二の虐殺は文筆を仕事とする者に大きな衝撃を与え、以後、書くことの自由は急速に失われ、時流に迎合した文章だけが世に出回るようになる。その回想集の中ではじわじわと真綿で首を絞められてゆくように、日ごとに作家たちの表現が奪われてゆく様子が書かれている。そんな状況下で文学者たちは葛藤し、筆を曲げ、筆を折り、やがて「本当のこと」は日記の中でしか書けなくなる。
 そんな時代を生きる作家たちの動揺や心の動きを、身につまされる思いで読んでいる。だがそれは、過去の事としてではなく、今のこととして。つまり、世の中が暗く息苦しい時、そして不況の波に覆われ、失業者が街に溢れている時、文学とか文化はどうあるべきかという問題としてである。
 今、佐藤泰志の小説『海炭市叙景』の映画化を実現しようと仲間と取り組んでいる。この動きが、この街に寄与するものは多々あると思っている。すでに、このことを知った方から励ましと募金協力の声が多く寄せられている。だが、映画を創るということは、生半可な意志や意欲だけでは出来ないことも事実だ。とくに、「百年に一度」と言われている大不況と雇用不安の現在だ。支援をお願いすることの心苦しさや不安も付きまとう。
 だが、戦争に向かいつつあったあの時代もそうだったのだ。「こんな時代だからよした方がいい」「今どき、映画づくりやってる場合か」。だが、そんな時だからこそ、自粛するのではなく、文化は不況の波に耐え、表現し続けなければならないと思う。そして、苦しい時だからこそ、閉塞感を吹き飛ばし、人々に夢や希望を与え続けるのが文化なのだ。そんな思いで、足を踏み出した。

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