沖縄再訪
この冬一番の寒さになったその日、宜野湾市にある佐喜眞美術館を訪れた。すぐに丸木位里・丸木俊が共同制作した「沖縄戦の図」と二年ぶりの再会を果たす。部屋の真ん中に置かれた椅子に腰掛け、壁面四方を覆うように展示された巨大な絵と対峙する。モノクロを基調とした絵だが、その所々に紅色が点在する。でいごの花びらの紅。火炎放射器の火の紅。そして、殺され、集団自決を強いられた住民たちの血の紅。
「絵画は見る人の想像力に訴えることによって『語られることのない戦争の闇』とその『闇のむこうの光』までもを伝えてしまう」
館長の佐喜眞道夫さんの言葉だ。帰りがけ、その佐喜眞さんから那覇市内で開催中の企画展のことを聞かされる。そこに丸木俊が南洋にいた頃の絵も展示されているという。早速その足で県立美術館に向かうことにした。
だが、その企画展に行こうと思った動機はそのことだけではなかった。前日、美ら海水族館に隣接する海洋文化館で、ミクロネシアなどの南洋の島々と沖縄とが歴史的にも地理的にも実に密接な関係にあることを知り、興味を覚えた。そしてもうひとつ、日本が戦争への道を歩みつつあったあの時代、新たな創作の場を求めて日本を離れ、海を渡って満州や南洋へ向かった作家や画家たちにずっと関心を抱いていたからだ。
『美術家たちの南洋群島』展は期待以上に見応えがあるものだった。知らなかった事実も多く教えられた。沖縄の人々と南洋群島との交流の歴史、東南アジア侵略の理論的根拠となった「南進論」のこと、そして美術家たちが南の島々で描いたおおらかな作品群。その中でも特に強い印象を与えたのは杉浦佐助という彫刻家のことだ。創作の日々を送っていた杉浦は昭和一九年八月、アメリカに占領されたテニアン島(翌年、B29エノラ・ゲイがここから広島へ飛び立った!)で、洞窟内に立てこもる日本兵に投降を呼びかけるが、銃で撃たれ死ぬ。日本兵によって殺されたという事実がなんともほろ苦い印象を残す。南洋群島ー杉浦佐助ー日本兵による射殺ーガマ内での住民の「集団自決」ー『沖縄戦の図』ー丸木俊…。その日に見聞きした事柄が次々と連想を呼び起こし「沖縄」の姿を形作る。
ホテルに戻り、テレビのスイッチを入れると、轟音を響かせ、最新鋭ステルス戦闘機が近い将来の常駐を目的に嘉手納基地へ飛来してきたことをニュースは何度も伝えていた。
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