個として生きること

一喜一憂しながらテレビ観戦していたシドニーオリンピックからもう二ヶ月余りが過ぎた。オリンピックはふだん以上に「日の丸・君が代」を意識させる時でもある。今回、特に印象に残ったのは、ウイニングランの際、高橋尚子が手にしていた小さな日の丸の旗であり、試合前にあの中田英寿が君が代を歌っていたことだった。その後、高橋には「何故、もっと大きな日の丸の旗を振らなかったのか」という声が寄せられ、中田には「あのヒデが何故?」というファンの驚きの声が起こった。ここでも日の丸・君が代は有形無形のわだかまりとプレッシャーとを選手一人一人に背負わせながら存在していた。
 そして、先日行われた日米野球の開幕戦では、十代の歌手小柳ゆきが、試合前に日米両国の国歌を斉唱した。わたしは彼女が歌う非常にユニークな君が代を聴いた時、「あれ?これでもありか?」と思った。というのは、かつて福岡県の高校の卒業式で、君が代をジャズ風にアレンジして伴奏した教師が、そのことで免職処分されたことを思い出したからだ。だが、今回の小柳ゆきには、なんのお咎めもないにちがいない。そもそも、正確に歌うことなどどうでもいいことであり、若者に人気がある彼女が君が代を歌ったという事実だけで、関係者の意図や思惑は充分達成されたのだから。
 オリンピックでの日本選手の活躍に沸き返っていたその最中、その間隙を縫うように、いやその活躍を利用するかのように、札幌市教委は卒業式などでの国旗・国歌の実施に職務命令を発することを決定した。「強制はしない」はずだった国旗国歌法はたった一年で、なし崩し的に強制へと向かい、従わない者を排除するものになってゆこうとしている。
 昨年亡くなった坂本幸四郎さんの著作に「涙の谷を過ぐるとも」という、函館における国家によるキリスト教への弾圧について書かれた労作がある。戦時下の昭和一七年、教会の牧師補小山宗祐は、天皇への忠誠と神社への参拝を拒否したという理由で函館憲兵隊に逮捕され、取り調べの最中に小山は自殺する。あの頃は、個人は国家に従属することを強いられ、国の方針に反対する者は「非国民」とされた時代だった。世の中全体が大きな流れに傾いている時、一個人がその流れに異議を唱えることの困難さと自己の信念を守り続けることの勇気について考えさせられた。
 そして今また、無関心と諦念の空気が社会全体に漂い始め、大勢に身を委ねてしまおうとする風潮が忍び寄る中、この冬を越すと、また卒業式の季節がやってくる。
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