街ごと西部ミュージアム

 来年四月の統合を控え、弥生小学校「校舎お別れ記念誌」の編集と沿革資料室にある資料のリスト作りを進めている。四百種類以上にも及ぶ資料や写真に目を通すたびに、その当時のことを想像したり、この学校での自分の思い出もよみがえってきたりで、いっこうに仕事ははかどらない。そんな遅々とした作業だが、思わぬ発見もある。
 明治四一年春の古ぼけた卒業写真。前年の大火で校舎が焼失し、避難先の住吉尋常小学校(現青柳小)で写されたその写真の最前列に石川啄木が心ときめかせた橘智恵子の姿があった。
 大正九年度の卒業生名簿。文芸評論家・亀井勝一郎、長谷川四兄弟の三男で作家・長谷川濬、サマセット・モーム研究で有名な英文学者・上田勤、そして今なお健在の世界的な舞踏家・大野一雄。後年名を馳せる四人は同じ学年で机を並べていたことになる。 
 昭和十年の駒ヶ岳登山の一六ミリフィルム。そこには湖岸の銚子口から煙吐く噴火口まで元気に登る児童たちと着物の裾をまくり上げて登山する女教師の姿が映っている。歴史再発見はまだ続く。昭和十三年、皇紀二五九八年日独伊親善図画作品展の賞状と賞杯。戦争の影がちらつく。そして戦後、昭和二四年の正面玄関の写真には、なんと英文による「YAY0I」の学校表示が。新たな発見が驚きに変わり、まるで自分が博物館の中にいる気分になる。
 校内にある資料、絵画、図書、教材教具、そして建具や校舎そのものが、弥生の一二七年の歴史をつくってきた。函館山のふもとに広がる街並み、景観、建物、そこに住む人々によって醸し出された土壌や空気がこれまでたくさんの逸材を育んだ。それは弥生小学校だけではなく、学校が位置している西部地区そのものが大きなミュージアムのようでもある。つまり、旧市街地であったこの街ごとが博物館であり、美術館であり、文学館なのだ。
 来春、弥生小の沿革資料室は一時閉鎖される。だが、今度統合する西小学校から育った画家・田辺三重松や劇作家・八木隆一郎などの資料とも一緒になり、将来は西部地区を代表するような資料室になってほしいという願いがある。
 年を越すと「歴史」をひとつひとつ段ボール箱にしまい込む作業が待っている。きっとその時は、惜別とか寂しさとかいう言葉で言い尽くせないような喪失感を覚えるのかもしれない。

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