古さを磨く
弥生小学校に来てから感じている「三つのなぜ」がある。学校前を通りすぎる観光バスの乗客はなぜ校舎を見上げているのか。なぜこんなに頻繁に見学者が訪れてくるのか。勤務先を伝えると「それはいいですねえ」となぜ多くの人が羨ましそうな表情を見せるのか。
先日、この「三つのなぜ」を総合的な学習の中で母校について調べようとする児童たちに投げかけてみた。子どもたちはその「なぜ」を探して校舎内を巡り、多くの人に尋ね歩きながら、学校や校歌の歴史、大火と鉄筋校舎のこと、校舎の歴史やその特長、そしてこの学校から巣立った人物などについて調べ上げ、後日それらを発表した。子どもたちにとっては文字通り「故きを温ねて新しきを知る」体験で、きっとその中で「三つのなぜ」の答えを見つけたように思う。
だが、そんな歴史や特長ある現校舎だが、お世辞にも住みやすい環境とは言えない。「古い・寒い・暗い」の典型的な老朽化した校舎で、子どもたちは多くの不便を感じているはずだ。だが、古いからと言って手をこまねいているわけではなく、少しでも快適にするべく校舎に磨きをかけている。そのせいか、「よく磨かれた廊下ですね」「なつかしいような落ち着く校舎ですね」という言葉を来校者から頂戴することもある。
今、わたしたちが未来の子どもたちへ残してやれるものは何かと考える時、それは新しさだけではなく、古いものの価値ではないだろうか。子どもたちはこれから新しいものにはいつでも出会えるが、古いものに接する機会は減少してゆくばかりだ。だからこそ、今ある古さをほったらかしにしたまま朽ちるにまかせるのではなく、古さに磨きをかけてそこに新しい価値を生み出しながら保存してゆくような工夫や努力が大切なのではないか。
弥生小学校には磨けば輝く財産が多く埋もれている。火事に強い施設として工夫された七十年もの年輪を重ねてきた校舎、グランド、中庭、体育館、そして長い間使い込まれ鈍い光を放つ廊下の床、階段の手すり、教室の戸。さらに校舎内に飾られている六十数点の書画や啄木、亀井などの多くの文学者たちの貴重な資料、明治以降の各時代の写真資料や教材教具などを紹介した三つの資料室など。
百二十七年の歴史を感じさせるそんな古さのひとつひとつが、今この校舎で学んでいる子どもたちにとっての情操の泉、想像力の源にしっかりなっている。
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