書くことで救われるもの

 今回、一年半ぶりに同人誌『路上』十一号を発行することが出来た。新しい冊子を手にするたび、はじめて同人誌を創った時のことを思い出す。
 それは東京にいた頃だ。西日が容赦なく差し込む六畳一間の北村巌のアパートの一室に函館から上京した仲間が集まった。ランニングシャツ姿の佐藤泰志の原紙を切る細い腕が、カリカリという音を立てながら小刻みに動いている。その傍らで北村とわたしは、汗まみれになって謄写版のローラーを滑らせ、紙をめくる。畳の上に刷り上がった紙を並べて帳合いし、ホッチキスで袋綴じにするとそれなりの冊子が出来上がった。みな一斉にそれを手に取ると、インクの匂いがしみ込んだ自分の文章に目を走らせた。
 「黙示」という名の付いたその同人誌は新宿のミニコミ誌専門店に置いてもらった。売れるはずもない粗末な装丁と内容で、過剰なほどの観念や情熱ばかりが先走った青臭いものだったが、わたしたちは自分の思いや主張が紙に印刷され、それがひとつの形となって店先に並んでいることだけで満足だった。自分たちの文章が誰かの目に触れられていることを想像すると気持ちが救われた。
 地方から都会へ夢と希望を抱いて出てきた若者は、やがてたまらない疎外感、孤独感に襲われる。わたしがそうだった。上京してからずっと大学闘争に明け暮れていたわたしは、次第にそこで満たされないものを抱えはじめていた。そんな時、「黙示」と出会った。
 あの時、書くことがなかったら、自分の思いをぶつけることが出来る場や仲間がいなかったら、どうなっていただろうと考える。それは、東京・秋葉原での無差別殺傷事件を起こしたあの青森県出身の二十四歳の容疑者のことを思ったからだ。彼は携帯サイトの掲示板に一日に何十通もの書き込みをし、その数は数ヶ月で何千通にもなった。だが、それを読んでいたのは書いたその本人だけだったという。なんだかとても身につまされた。
 新宿の雑踏の中に置かれた粗末な同人誌と厖大なネット世界に漂う掲示板。どちらも誰からも相手にされない類のものなのかもしれない。ただ、あの時のわたしたちは自分たちの不遇さやこの世の不平等さの意味や原因を言葉によって追及し、文章で表現しようと思った。ナイフではなく、ペンでこの社会の矛盾を突き刺そうと思った。


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