街の匂い

 明治末期、函館に生まれた作家、長谷川濬の未発表のノートに目を通す機会があった。長谷川四兄弟のうち、長男の海太郎は林不忘の名で書いた「丹下左膳」などで名を馳せたが、三男の濬は満州に渡って活躍したものの、戦後は忘れられた存在だった。
 その濬が生前、函館での子ども時代の思い出を描いた詩文を残していた。それらには明治末期から大正にかけての函館の街のにぎやかな様子が鮮やかに描き出されている。
「南部せんべいのやける匂
炭火に熱する円形鉄板
はじけるごま
無愛想なおやじとせんべい
塩からい匂
(中略)
相生町のドロンコ道
五島軒レストランのコック
南部せんべい屋の火の匂
(中略)
バター、焼肉と南部せんべいの町よ
かくして時はすぎ行き」
(「失いし時のフラグメント」)
 濬が描いた光景は、わたしが子どもだった昭和三十年代までの様子とほとんど変わらない。これを読んだ時、当時の二十間坂界隈の風景がなつかしく思い出され、その頃の街の匂いまでもがよみがえってきた。
 せんべいの「耳」欲しさに窓の外から作業をずっと眺めていた南部せんべい屋。お使いに行った精養軒のショーウインドーの出来たてのクリームパン。銭湯の帰り道、いつも大人の香りを嗅いでいた喫茶店ブラジルのコーヒー。子どもには高嶺の花だったレーモンさんのソーセージと五島軒のカレー。向かいの道新社屋との間をラーメンの出前持ちの女の子が行ったり来たりしていた来々軒。そして、丸井デパートにあったドーナッツ自動製造機を見た時の驚きとその甘い香り。
 子どもの頃の思い出がすべて、食べ物に連なってゆくのはその時代性を現している。だが、あの頃、そんな香ばしい匂いばかりが街に流れていたのではなかった。風のある日にはいつも、街中にイカ干しや馬糞や潮の匂いが漂っていた。ハイカラな素敵な香りと土地柄が生んだ生活の匂い。その混在こそが「ハコダテらしさ」だったのであり、それもひとつの文化だったように今になって思う。
 見たり聞いたりしたことだけが記憶ではない。匂いや香りや肌で感じることも又、人々の記憶や歴史をしっかり形づくっている。



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