歴史は未来の道しるべ
来春、弥生小学校は統合となるため、今年度が現校舎での最後の一年となる。そのこともあり、昨年から校内にある備品や数多くの歴史的資料などの整理を始める一方で、今学んでいる子どもたちにこの学校の歴史を伝えてゆく取り組みも進められている。
そのひとつが学校沿革パネルの設置だ。年表などはパソコンを使って作成し掲示することも可能だが、今回はあえて白いベニヤ板に線を引いて枠を作り、その中に一行一行、印字したテープを貼り付けるという地味な作業で作成した。そんなアナログな手作りの年表こそが、味わいある今の校舎に似合っているように思ったからだ。一行ずつその年の出来事を貼り付けながら、その時代のことを想像したり、自分の小学生の頃のことを思い出したりする作業はとても幸福な時間だった。校長室前の廊下に並ぶその沿革はベニヤ七枚分の長さにもなり、開校百二十七年になる弥生の歴史を実感できるものとなった。
その年表を作成する途中で、ある発見があった。資料室に函館の五十年後を予想したジオラマがあるのだが、その五十年後が今年にあたることがわかった。その「将来の大函館市」という名の立体模型は市役所が函館港開港百周年記念事業として制作し、市役所玄関などで展示した後、弥生小学校に保管されたものだ。そこには次のような表題が付いている。
「この模型は(省略)五十年後の大函館市のビジョンです。さて青函トンネルが開通されたらどうなるでしょう。あなたも大きな夢を考えましょう」
青函トンネルの出口に上磯臨港地帯が開け、西桔梗地区に官庁街が放射線状に広がる。立待岬には海底水族館、千代台公園横にはバスターミナルが設置され、日吉町周辺は文教住宅団地として整備されている。模型の中の街並みは、函館山を背に扇状に広く外側へと発展している。
そして今、その模型を見ると複雑な思いになる。確かに街は外へと伸びた。だが、人口減にもかかわらず伸びきった街の郊外は大型商業施設ばかりが目立ち、いまや車がないと生活してゆけない街になった。五十年前、この街の将来の夢を描いた人たちは、あの賑やかだった函館駅前通りの商店のシャッターが閉められ、「テナント募集」の張り紙があちこちに貼られているこの現状を予想出来たか。歴史はいつも未来にとって大切な何かを問いかけている。
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