十八の春
つい先日、新聞の片隅に載っていた写真に目が釘付けになった。その瞬間、ずっと忘れていた十八の頃のある思い出が突如としてよみがえってきた。
その写真は「ベトナム反戦のゼッケン8年」という、昨年十一月に死去した平和運動家の金子徳好さんを偲ぶ記事の中にあった。金子さんはベトナム戦争の最中、米軍による北爆に抗議し、「アメリカはベトナムから手をひけ」という手製のゼッケンを胸に付けて八年間、東京都心を毎日通勤した。ゼッケンを付けて電車に乗っている金子さんが写っているその写真に、当時高校生だったわたしは大きな衝撃を受けた。
大学受験を前にしたわたしはその頃、仲間と一緒に「殺すな」という文字が入った白いバッジを学生服の胸元に付けて通学していた。海の向こうで起きている戦争に加担している日本の有り様に対する自分なりの精いっぱいの抗議の意思表示だったが、今思えば自分たちのちっぽけな「受験戦争」への苛立ちだったのかもしれなかった。その写真を見たのはそんな頃だった。
自分も何かをしなければならないと思った。だが、金子さんのように胸にゼッケンを付けて歩く勇気は無かった。苦肉の策でわたしは、受験で上京するために購入した黒いショルダーバックの表面に、白いビニールテープで「ベトナムに平和を」という文字を貼った。
東京にいた姉に連れられ、受験会場の下見のため山手線の電車に乗り込んだ。乗り合わせた客はわたしの肩にぶら下がったバックにチラチラと目をやった。「恥ずかしい」と隣にいた姉が呟いた。わたしは「これは正しいことなんだから」と強く答えた。
あの時のわたしの行為が青年特有の自己満足のヒロイズムだと言われれば、返す言葉もない。何せわたしのその行動はたった一週間にすぎなかったからだ。だが、金子さんはそれを八年もの間、毎日続けたのだ。その始まりは個人の小さな闘いだったかもしれないが、それは確実に大きな力になっていた。遠く離れた地方の一高校生に強い影響を与えるくらいに。
「個人がやるとこんな静かなゼッケン運動までが過激と言われ、国家がやると爆撃・大量殺人までが、見過ごされてしまうのはなぜでしょう」金子さんはそんな問いかけをしていた。
あの十八の春。恐る恐る外へと足を踏み出そうとするわたしのその背中を強く押してくれたのは、まさしくあの金子さんの写真だった。
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