天国からの贈り物
 
 以前、ここで紹介した佐藤泰志の主な小説やエッセイなどを集めた「佐藤泰志作品集」が発行された。その広告が掲載された十月十日は佐藤の命日でもあったが、新聞記事で彼の突然の死を知ってからもう十七年の歳月が過ぎた。青春を生きることの息苦しさ、困難さを執拗に書き続けてきた彼が今生きていれば五八歳になる。
 作品集が発行された翌日、東京から発行元クレインの文さんが東山墓園を訪れた。文さんは佐藤の墓の前で、「これでようやく肩の荷が下りました」と発行の報告をしていた。その姿を見ながら、わたしも又、ホッと肩の荷が下りた気持になった。
 八年前、佐藤の中高時代の仲間と一緒に「佐藤泰志追想集」を作った。今、佐藤のことを何かしら形として残さなければ、彼の小説もやがて忘れ去られてしまうのではないかと思ったからだ。発行後、数年経っても時折この追想集を希望する問い合わせが全国から寄せられた。その中の一人が文さんだった。それから二年経ち、幾多の障害を乗り越えて文さんは立派な作品集を上梓してくれた。これで追想集を発行したその目的が達せられたし、発行に一緒に携わってくれた仲間の思いや労苦にようやく報いることが出来た。
 「時代遅れであろうとなんだろうと、それはこの海炭市の市内を五十年近く、ただ毎日、走ってきたにすぎない」(「海炭市叙景」)
 この作品の中に登場する路面電車の運転手のような市井の片隅で生きる「そこのみにて光輝く」人々の営みを、佐藤は丹念に描いた。佐藤の作品に登場する人物は見かけの華やかさや豊かさの下で、この土地で足を踏ん張って生きている者たちばかりだ。この街から出てゆくことも、夢とか希望をもどこかで断念しているそんな人々の姿を、その時代と函館と思われるその街の移り変わりを背景にしながら描いている。高邁な理想を追い求めることもなく、地べたを這うようにしてひたむきに生きている、そんな人間の描写が佐藤の真骨頂であった。きっと彼は幼い頃から、そのような人間像を、働く両親の後ろ姿の中に見ていたにちがいない。
 墓参の数日後、静岡に住んでいる妻の喜美子さんから水色の表紙の分厚い作品集が贈られてきた。そこには「天国からの贈り物です」という一文がそっと添えられていた。

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