帰省

 夏が終わりかけたある日、東京にいる息子がギターをかかえて時季外れの帰省をした。それから一週間、彼はただ寝て、食べ、そしてギターをつま弾き、親子の対話も大してないまま再び機上の人となった。「台風がやって来たようなものだな」とわたしはあきれつつも、それでもやっぱり嬉しかった。それが子どもを持つ親の気持ちだなどと言いたいところだが、自分の学生の頃のことを考えると、そんなことは口はばったくてとても言えない。
 東京に行った最初の夏、わたしは意気揚々と帰省した。当時は汽車と連絡船の長旅であったが、函館山が見えてくるとその疲れも一気に吹き飛んだ。すぐに高校時代の友人たちが集まり、お互いの近況を語り合った。ほんの数ヶ月前までセーラー服姿だった女の子たちの化粧した大人びた姿にドギマギしながら、わたしは「東京ではね」とか「新宿に行くとさあ」といい気になって都会人ぶったりした。その時のわたしには、その土地を離れたくとも離れることが出来ない人たちの気持ちを思いやる力がなかった。
 だが、帰省らしい帰省はその年だけだった。東京での生活がそれなりに忙しくなり、とりわけ学園闘争の嵐に巻き込まれてゆくにつれ、故郷はどんどん遠くなっていった。それでも東京にいるのが苦しくなると、上野発の夜行列車に乗り込み、気まぐれの帰省をした。青森に着き、長い連絡通路を渡って桟橋まで来ると、海の向こうはもう故郷だった。
 連絡船に乗船し、カーペットの上にゴロンと横になるとすぐ眠りにつく。やがて、周囲のざわめきで目が覚め、窓の外に目をやると、函館山の姿が目の前に迫っていた。慌てて起き上がり、上部デッキに駆け上がる。山麓に広がる街並み、そのままストンと海の中に落ちてゆきそうな坂道、そして遠くになつかしい高校の屋上も見えた。数年前まではそこからいつもこの連絡船を眺めていたのだったが、あれからもうずいぶん遠くまで来てしまった気がして心が疼いた。
 「帰省」という言葉を聞くと、そんな青春時代の苦い思い出ばかりがよみがえる。だが、それでも船上から見た時の、あの函館山の裾野に広がる街並みの光景は今も忘れられないでいる。だから今度、就航したばかりの新型フェリーに乗り、もう一度あの時の胸の高鳴りを思い出してみたいと思っているのだ。 

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