時代を超える連絡船

 小学生の頃、海面を滑るようにしながら港を出入りする連絡船の姿を校舎四階の窓越しに見ていた。高校生になると、今度は西高校の屋上から内地へと向かう連絡船を眺め、次第に「海を渡って東京へ行くのだ」という思いを募らせてゆくのだが、弥生小学校にいた頃はごく日常的な普通の風景にすぎなかった。そして、それがとても贅沢なことであったということは、ずっと後になってわかった。
 だが、当時松風小学校に通っていた佐藤泰志にとっては、連絡船はもっと特別な意味を持っていた。学校の帰り道、佐藤は毎日のように中央埠頭にカニ釣りに行く。
「少年時の僕の愉しみといえば、函館湾の岸壁で小さな毛ガニをイカの足で釣ることで、随分熱中したものだ。二、三時間でバケツ一杯の収穫があったが、そんな時連絡船が湾に入って来るのを見掛けると、胸がある種の軋みを伴って弾んだものだ。」
(「青函連絡船のこと」)
 佐藤は連絡船に向かって声を張り上げ何度も大きく手を振る。その船には、翌日の朝市での商いのために青森から米などの荷を担いで戻ってくる両親が乗っていたからだ。
 最近、佐藤泰志の遺作となった「海炭市叙景」について触れた本が立て続けに刊行された。川本三郎「言葉のなかに風景が立ち上がる」と岡崎武志「読書の腕前」の二冊だ。そのせいか、わたしのところへも佐藤の同期生たちと発行した「佐藤泰志追想集」の申し込みが相次いだ。若い読者は今はもう入手出来ない佐藤の著作に出会うまでの苦労と読後の感動を伝えてきた。佐藤が描いた一九八〇年代の青春像の中に、今の若者にも通底する何かがあるのだと強く感じた。
 その追想集だが、すでに在庫も底をつき、佐藤泰志という作家も次第に忘れられてゆくのかというあきらめの気持ちを抱いていた矢先、その佐藤の作品がまとめて一冊の本になることを知った。この秋にクレイン社から「佐藤泰志作品集」が発行され、芥川賞候補作となった五作品の他、急速に変わりつつあった一九八〇年代の函館の街を、そこで暮らす人々の目線で描いた「海炭市叙景」などが収録されるという。
 今、連絡船は港の片隅に係留されたままで、函館の街や人は時代と共に移ろってゆくのであろうが、連絡船への人々の思いはいろいろな形で記憶され、時代を超えて引き継がれてゆく。

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