地下の図書館
小学生の頃、坂に面した校舎の一角に図書室があった。実際は一階だったが、グランドの下にあったので、わたしたちはそこを「地下の図書館」と呼んでいた。休み時間になると、わたしは遊びの輪から離れ、時折その図書室に足を運んだ。
その入口の戸は重厚な鉄の扉だった。そのせいもあり図書室の敷居はとても高いもののように感じた。実際、その扉を開ける時はいつも緊張した。意を決して重い扉を開けて中に入ると、部屋中を威圧するように取り囲む本の壁。室内を覆うカビ臭い本の匂いと静寂。小さな窓から差し込む陽の光が、空気中に漂う埃をキラキラ照らし出していた。声を潜めたヒソヒソ話や席を立つ時に室内に鳴り響くガタンという椅子の音。そんな室内の雰囲気がいっそう少年の緊張感を高めたが、一方で自分が新しい世界に足を踏み出しつつあることがちょっぴり誇らしかった。
そんな図書室でわたしは「怪人二十面相」に出会い、さらに「アルセーヌ・ルパン」シリーズを読みふけり、正義にはない悪党の魅力にちょっぴり触れた。それだけではない、後日この図書室と隣接した映画室で「少年探偵団」の映画も観賞することになる。当時の学校というのは、文化の最先端の場であり、地域の憬れの場だった。そんな学校で、わたしは学力とは違う「知の魅力」というものを知った。
一昨年開館した中央図書館は、明るく、広く、扉もなく開放的というその特長で好評だが、わたしはどうもその「敷居の低さ」が落ち着かず苦手だ。確かに多くの人が気軽に立ち寄れるアミューズメント施設のような図書館は必要だと思う。だが一方で、青柳町にあった旧図書館のようにひっそりと迎えてくれる図書館があってもいい。ひとり静かに本に向かい、自分と対話しながら、心の地下水をじっくりとくみ上げることが出来るような。「寒い、遠い、狭い」と不評だった旧図書館だったが、ある意味でのその「敷居の高さ」とあの素敵な環境がわたしにはとても居心地よかった。
弥生小学校の「地下の図書館」は今はもうない。だが、入口の鉄の扉はさび付いてはいるものの健在だ。先日、その扉を開けてみて気がついた。あの頃に感じていた扉の重さは、子どもが成長してゆくためにきっと必要な重さだったのであり、そのための「敷居の高さ」だったのではなかったのかと。
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