空気のなくなる日

 小学生の頃、強い衝撃を受けた映画があった。ずっとその題名を思い出せずにいたが、それが最近ようやくわかった。そのタイトルは「空気のなくなる日」。
 明治末期、地球にハレーすい星が接近する。その影響で地球上から空気がなくなるという噂が飛び交い、いなかの村は大騒ぎとなり、空気をためるゴム袋の値段が跳ね上がる。空気がなくなるというその日、金持ちの家の子どもはタイヤのチューブを何本も体に巻き付け、貧しい家の子どもたちは死を覚悟する。やがて、その時間がやってくる…。およそ、そのような内容だ。この映画を見た時、子ども心にとても恐怖心を抱いた記憶がある。
 昭和二四年に制作されたこの映画は、後に「幻の日本SF映画」と言われるようになる。数年前に公開された「ディープ・インパクト」などの隕石パニック映画の原型がすでにその頃に描かれていた。
 原作は農民作家と呼ばれた岩倉政治の同名の絵本で、この作品は教科書などにも掲載された。この作品の元になったのは本人の幼い頃の体験談で、戦時中、岩倉は疎開先の富山で、戦争で姿を消した絵本の代わりにこの話を自分の子どもに聞かせていたのだ。
 ハレーすい星は明治四三年五月十九日、日本に最接近する。地球破滅論などの流言や噂が人心の不安を呼んだが、何事もなくやがてすい星は赤色の尾を引きながら遠ざかってゆく。だが、「不吉な兆し」はその直後に現実化する。すい星が去った十日後、各紙夕刊はいっせいに「幸徳秋水逮捕、社会主義者一網打尽」の報道を伝える。いわゆる「大逆事件」の大検挙が始まる。この事件は今では、社会主義勢力の台頭に恐怖を覚えた国家権力によるねつ造であったとされている。
 岩倉はこの作品で、噂やデマや一方的な宣伝がいかに人を踊らせ、そして時代の空気を変えてしまうかをユーモラスに描いた。岩倉は大本営発表を信じ、一喜一憂した戦時中の自分たちの姿をそこに見ていたのかもしれない。
 真実をとらえる確かな目を失った時、人は時代の空気という大きな流れに容易に巻き込まれてゆく。そして、不安や恐怖に陥ったそんな時、「正義」を旗印にした悪魔の囁きが人の心の隙間にそっと忍び寄ってくる。時には勇ましく、時には猫なで声で。
「空気のなくなる日」の話は現代にも通じる寓話のようにも思える。


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