佐喜真美術館

 正月明けに沖縄に行った。那覇空港から市街地に向かうモノレールの車窓からの景色を眺めながら、前回サミット前に来た時、モノレール敷設工事やホテルの増改築が盛んに行われていたことを思い出した。
 今回の旅の目的は大きく二つあった。ひとつは摩文仁の丘の上に建つ、新しくなった平和祈念資料館を訪ねることだった。旧資料館から新設移転する際、沖縄戦における「日本軍の住民虐殺」を伝える展示内容を改ざんしようとする県側の動きがあった。ガマ(洞窟)の中にいた住民を威嚇する日本兵を描いた絵から、銃の部分を取り除こうとしたのだ。当然、県内外からの批判の声が高まり、元通りにしたという経緯があり、そのことを確かめたかった。真下に断崖と青い海とを一望出来るガラス張りの新資料館はモダンすぎて少し違和感を抱いたが、目的の絵はちゃんと従来の姿のまま展示されていた。
 旅のもうひとつの目的は、宜野湾市にある佐喜真美術館にある「沖縄戦の図」を見ることだった。その絵は、「原爆の図」で知られる画家の丸木位里・俊夫妻が沖縄戦での住民集団自決をテーマにして描いた大作である。
 住宅地の一角にある美術館に入り、その絵が展示されている部屋に足を踏み入れた。真正面の壁一面いっぱいに縦400×横850センチの巨大な絵が横たわっていた。全体が黒を基調としたその絵の中で、沖縄の海をイメージした青色と、そして鮮やかな赤が目を奪う。それは火炎放射器から放たれた炎の色であり、ガマの中で自決した住民の血の色だ。静まりかえったその部屋にいると、死者の声や呻きが聞こえてくるような気がした。それは、数年前、戦没画学生の絵を展示している長野の無言館で感じたのと同じようなものだった。
 米軍に接収されていた土地の一部を返還させ、自費でこの美術館を建てた佐喜真館長が、研修で訪れていた二十名ほどの学生を相手に絵の説明を始めていた。そこで館長が力説していたのは、自らが体験していない過去の事実をいかに想像力を駆使し伝えてゆくのかということと、今生きる者たちの次世代に対する使命ということであった。
 見学を終えて美術館の屋上に上がった。空に向かって突き出している階段を上りきると、直下にフェンスで囲まれた米軍の普天間飛行場の巨大な姿が見える。まさしく「沖縄戦の図」はフェンス一枚隔て、基地と対峙しているのだ。


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