夕闇に暮れる谷地頭の町
「廃校になった谷地頭小学校の沿革と校歌についての資料を送ってほしい」。教育委員会経由でそんな依頼を受けた。依頼は横須賀に住む一六歳の少年からだった。
「木造校舎に興味を持つなんて、今どき珍しい高校生だな」と思いながら、校内にある谷地頭小学校資料室に保管してある閉校記念誌などを送ってやった。数日後、本人から礼状と共に「夕闇に暮れる谷地頭の町」というタイトルが付いたエッセイが届いた。十六歳とは思えない筆力ある文章に驚いた。だが、驚いたのはそのことだけではなかった。
その少年は一二歳の頃から木造校舎や学校跡地に興味を持ち始め、その写真を撮るために全国各地を歩いていた。函館を訪れた時、今は「ふるる函館」になっている谷地頭小学校に強い関心を抱き、エッセイを書くために今回資料を請求した。彼は送られてきた閉校記念誌を読み、再び函館を訪れる思いを強く抱いた。
わたしが心を動かされたのはこの後に書かれていたことだった。その少年はいわゆる不登校児で小学校四年を最後にずっと学校には行っておらず、今も高校には行っていないとのことだった。わたしはその手紙を読みながら、夕闇迫る中、函館まで父親が運転する車でやって来た親子三人が、谷地頭小学校跡地の前にポツンと立っているその姿が目に浮かんだ。そして、木造校舎の写真を撮り続けるというその目的を見つけるまでの少年の心の葛藤や、その間の両親の気持ちを思うと胸が熱くなった。
わたしが勤務している青柳小学校は来年一三〇周年を迎える。校舎は昭和九年の函館大火で焼失した後に改築され、鉄筋ではあるが今では市内で一番古い小学校となった。「古い・寒い・暗い」の典型的な校舎だが、建物の様々なところに歴史の跡を感じさせる学校だ。学校の思い出というのは、突き詰めれば友だちと先生と校舎だと思う。故郷を遠く離れ、たとえ生家がもうそこになくても、かつて通った校舎が昔のままの姿で残っていると、まだ自分が帰るべき場所がそこにあるように思うのだ。
「改革、改革」と前ばかりに目が向けられている今、古い校舎やその跡地は失われつつある何かを思い出させてくれたり、気づかせてくれる場所でもある。学校から足が遠のいた十六歳の少年は、谷地頭小学校跡地に立ち、そこで心を突き動かされる何かを見つけることが出来たのであろうか。
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