暗いから見えるものもある
わたしが子どもだった昭和三十年代頃、夜というのは本当に暗いものだった。当時賑やかだった十字街近くにわたしは住んでいたが、夜も八時を過ぎる頃になると家々の玄関の電灯は消され、すべての商店も店閉まいし、人通りもほとんど途絶えていた。そんな暗闇の中で、電信柱に下げられた傘付きの裸電球が、その周辺だけをスポットライトのように丸くうすぼんやりと照らしていた。今思うとあの頃の夜は、街全体が暗くて静けさに包まれていた。夜は子どもにとっては何となく怖い時間だったし、不安な気持にさせる闇の空間でもあった。だからそんな夜に、子どもたちは知らず知らず畏怖の念のようなものを抱いていったように思う。
そして今、街中では夜の闇が次第に消えつつある。街灯やコンビニや広告の照明、そして途切れることなく行き交う車のヘッドライトの明かりが、深夜も街中を煌々と照らし出す。その輝きは街から夜を追放し、二四時間営業の明るさをもたらした。
だが、その明るさはうわべだけのものなのかもしれない。どんなに明るくなっても、そして明るくなればなるほど、闇はもっと深く暗くどこかに潜行してゆくにちがいないからだ。そしてそれは、目に見えないように存在するからなおさら厄介になる。
今年、少年たちによる犯罪が続発した。少年の事件が起こると、新聞やテレビは少年たちに「心の闇」「暗い心のほら穴」「自閉した心」といった定型化された言葉を当てはめ、さらにその少年たちが日頃から「暗かった」「明るくなかった」という形で締め括ろうとする。そこには「明るい=善=多数」、そして「暗い=悪=少数」という安易な図式と「人は明るくなければならない」という希望観測的な思い込みがある。
今、テレビではお笑いタレントたちのぞんざいな言葉が文字になって繰り返し画面に映し出され、視聴者に明るい笑いを押しつけてくる。だがその裏には、そんな明るさや笑いに付いていけない者を一方的に「暗い」と切り捨ててしまうような排除の姿勢が見え隠れする。そして、そんな明るさの強制こそが、「暗い」少年たちをいっそう深い闇へと追い詰めていることに彼らは気がつかない。
確かに明るくなることで、それまで見えなかったものが見えてくることがある。だが逆に、明るすぎて見えなくなるものもあり、暗闇の中でじっと目を凝らすことによって見えてくるものもあると思う。つまり、明るさの中にも闇はあり、そして闇の中にも明るさはあるということなのだ。
子どもの頃、暗く長い夜を過ごしてきたわたしたちは、実は夜の闇の中に、そんな明るさを探し求めていたのかもしれない。
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