ラジオデイズ
一九六八年に起きた「三億円事件」をモチーフにした映画、宮崎あおい主演の「初恋」を見た。当時、わたしも東京にいたので、あの時代の雰囲気、とりわけ新宿の光景がとてもなつかしく感じた。
この映画の場面場面にラジオが登場する。あの時代、若者にとってはラジオが一番身近なアイテムだった。万人向けのテレビよりも、ひとりひとりに語りかけるラジオを若者たちは強く支持した。あの頃はまだ、テレビよりもラジオの時代だった。
わたしもラジオがずっと友だった。小学生の頃、自分だけで聞くラジオが欲しくて、ゲルマニウムラジオを少年雑誌で見つけ入手した。ドキドキしながらアンテナ線を張り、イヤホーンから聞こえてきた初めての音に心臓が高鳴った。中学生になるとトランジスタラジオが普及し始め、小遣いを貯めて東芝の「ヤング6」というポケットラジオを買い求めた。学生服の袖にイヤホンを通し、授業中秘かにプロ野球日本シリーズを聞いたりした。高校時代は深夜放送を聞きまくり、ますますラジオの魅力にとりつかれてゆく一方、ラジオが伝える世界の出来事に目を開かされてゆく。
上京すると、すぐに秋葉原で新しいラジカセを購入した。その年の十二月に起きた「三億円事件」はそのラジオで知った。翌年の一月、東大安田講堂攻防戦の実況放送を聞き、いてもたってもいられず下宿を飛び出し、電車に飛び乗った。その後も、後々まで語り継がれるような大ニュースはすべてラジオで聞いた。アポロ11号の月着陸、よど号ハイジャック事件、そして三島由紀夫の自衛隊乱入割腹自殺事件など、刻々とラジオが伝える出来事を想像力を駆使し、貪るようにして聞いていた。
やがて列島改造論が叫ばれ、好景気を迎えると、テレビが道ばたに捨てられるようになる。わたしもその恩恵に預かり、横井さんの帰還も札幌オリンピックでの「日の丸飛行隊」の活躍も、拾ったそのテレビで見た。そして、その興奮冷めやらぬ頃、連合赤軍あさま山荘事件が起き、二日間にも渡る生中継をテレビにかじりつき見続けた。テレビは今起こっている出来事をこれでもかというばかりに完膚無きまでに映し出した。そこにはもう、いっぺんの想像力も入り込む余地はなかった。その頃からだったように思う。ラジオの時代に翳りが見え始めたのは。
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