文章を書き始めたころ
意識的に文章を書いたのは、小学校の読書感想文だったように思う。その後も嫌にならずに書き続けてきた理由は、最初に書いたその文章が先生にほめられたからだ。
その感想文のことは、今もよく覚えている。『渚にて』という第三次世界大戦勃発を描いた近未来小説の感想文だった。だが、今思えばその作品は小学生の自分が読むには難解であり、どうやらわたしは当時公開されたその映画の感想を書いたような気もする。何故そんな重たいテーマを選んだかだが、一九六〇年のその頃は、米ソ冷戦のまっただ中で、新聞やテレビから伝えられる核戦争の恐怖を子どもながらに敏感にとらえていたのかもしれない。
人はほめられると猿のように木を上る。それからわたしは文章を書くことが好きになった。文章が人を喜ばせたり、感動させることを知った。わたしは文章が持つその魅力を知ってしまった。
高校の時もそうだった。授業中、たわいない戯れ言をノートの切れ端に書いては級友に送りつけた。それを読んだ友人がニヤッとするのを見るのが楽しみで何度もペンを握った。(『立待岬』執筆者の北村巌もその格好の被害者だった)
だが、楽しみだけで書いていたのはその頃までで、やがて同学年に高校生離れした文章を書く者がいることを知る。それが当時、すでに文学関係者から前途を嘱望されていた佐藤泰志だった。青春の鬱屈した心情を描いた彼の作品を読み、文章が持つ別な魅力に触れた気がした。その後、東京でその佐藤や北村らと共に、ガリ版刷りの同人誌を発行した。書くことで、吐き出さずにはいられない胸の中のモヤモヤを紛らしていた日々で、文章を書く喜びはとうに失せていた。函館に戻ってからも細々と書き続けたが、書くことは仕事や生活の幅よりもずっと小さくなっていた。
小学生の頃の読書感想文から最新の「路上」一〇号に至るまで、いつも何かを書き続けてきた。おそらく、その間に文章力とか文章技術とかは、上達してきたと思う。だが、反比例するように文章を書き始めた頃の喜びからは、どんどん遠ざかっているような気がする。無心にわら半紙の原稿用紙のマス目を一字一字埋めていたあの頃の情熱には、今どんなに一生懸命書いていても到底及ぶことはないのだという、そんな寂しさを抱きながらパソコンのキーを叩いている。
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