三丁目の夕日
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た。CGで再現された昭和三十年代の風景や空気感、数々のエピソードや登場する人々の姿が、同じ時代函館で「十字街の夕日」を眺めていたわたしの少年時代の思い出とピッタリと重なり、見ている間中ずっと懐かしい思いにとらわれていた。
この映画を見ながらもうひとつ感じたことは、あの頃にはまだ戦争の名残があったということだ。そのことを評論家の川本三郎は次のように語っている。
「昭和三十年代という時代に、いまと比べて良かったことがあるとすれば、戦争の記憶がまだ強くあったために、死者に対する追悼の思い、悲しみを、市井の人々が静かに持ち続けていたことではないかと思う。時代と共にそれが薄まると、国家が全面に出てきてしまう」
その頃、遊ぶことだけが仕事だったわたしの前にも、戦争の影は時々ニュッと顔を出した。それは護国神社のお祭りの夜、境内の片隅に立つアコーディオンを手にした傷痍軍人の姿であったり、わたしたちの遊びの輪から仲間はずれにされていた青い目をした混血少年の寂しげな眼差しであったり、「赤胴鈴之助」が楽しみだったラジオから時々流れてくる「尋ね人」の放送であったりした。それらはいつも、わたしたちの前にひっそりと遠慮がちに現れた。はしゃいでいたわたしは言いようのない違和感を覚え、そっと口を噤んだ。
今思えば、そんな体験や大人たちから嫌と言うほど聞かされた戦争中の辛かった思い出話が、わたしたちの平和への思いを知らず知らず強めさせていったように思う。だからこそ、その後ベトナム戦争が起こった時、わたしたち「戦争を知らない子どもたち」の多くは怒りを覚え、反戦運動に身を投じていったのではないだろうか。
映画のラストシーン。完成した東京タワーが夕日に照らされ輝いている。「きれいね」とつぶやく母親に不思議そうに少年が言う。「当たり前じゃないか。明日も、あさっても、五十年先だってずっと夕日はきれいだよ」。母親は答える「そうだといいわね…」。
そして今、もうすぐその「五十年先」が来ようとしている。だが、夢と希望のシンボルであった東京タワーは、いまや六本木ヒルズに取って代わられたかのようだ。かつて少年だったわたしたちは、今何を見上げているか。そして、あの頃見たきれいな夕日を今もまだ見ているか?
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