フィルムの中の函館

 「八幡坂で映画のロケをしているらしい」「函病の屋上にアキラが来ている!」。小中学生だった頃、そんな話を同級生が自慢げに話すのを口惜しい思いで聞いていた覚えがある。弥生小学校の映画委員に何度も立候補するほど、映画好きだったわたしだったが、まだその頃は授業を抜け出してその場所に行くといった、そんな勇気も度胸も知恵も持ち合わせてはいなかった。
 その時、当時八幡坂にあった白百合高校でロケをしていたのは森雅之や野添ひとみが出演していた「白い悪魔」。学校帰りに急いでロケ現場に駆けつけてみたものの、すでに撮影は終了し、とてもがっかりした思い出がある。そして、基坂沿いの函館病院の屋上で撮影していたのは、小林旭と浅丘ルリ子のコンビによる渡り鳥シリーズ「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」。わたしは教室の窓から外を眺め、ギターを背負い、肩を揺らせながら元町界隈を歩いてゆくアキラの姿を想像していた。
 函館ではこれまでに実に多くの映画が撮影されている。昨年も森田芳光監督の「海猫」が南茅部を中心に長期の函館ロケによって撮影された。森田監督は函館の街そのものがオープンセットのようだと語っている。そんな函館ロケの映画を見て、わたしたちは日常見ているのとは異なる、もうひとつの函館の街の表情に出会ったりする。映画は、わたしたちがふだん気がつかないこの街の魅力や素晴らしさを、思いがけずそっと気づかせてくれるのだ。
 それだけではない。時代と共に街の姿は移り変わり、昔の面影はどんどん消えてゆくが、映画は撮影した当時の街並みや人々の姿を後々まで残してくれる。西部地区を中心に歴史的な街並や建物の景観を保存してゆく取り組みが進められてはいるが、如何せん、街の変化は食い止めようがない。だが、その時々の街の風景や、人々の表情、生活の様子はフィルムの中ではいつまでも残っている。昔の映画を見る楽しみは、実はそこにもあるのだ。本や写真や新聞だけではなく、映画もまた、歴史を語るための貴重な記録であり資料なのである。
 この夏の終わりに函館市文学館「文学の夕べ」で「小説と映画で読む函館の街」という題で話をすることになった。函館を舞台にした小説とその映画、それも函館でロケした映画について、それらの作者のこと、背景となった時代のこと、そしてロケ当時の函館の風景について、自分の思い出と重ね合わせながら語ってみたいと思っている。 

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