古い学校こそ価値がある

 今の学校に赴任した時の第一印象は「古い・暗い・寒い」だった。何せ校舎は昭和九年の大火後に建てられたものであり、七十年以上の年数を数えている。それまで比較的新しい校舎ばかり経験してきたわたしは、最初この「古さ」にいささか気持ちが萎えたものだ。
 だが、その思いもすぐに消えた。この古い校舎が何故かしっくりとしてきたのだ。高い天井の廊下とアーチ上の欄干、曲線形の黒光りした木製の階段手すり、踊り場の上の丸く切り取られた大きな窓、昔の写真で見たような講堂型の体育館……。ゆとりさえ感じるそんな手の込んだ作りを見ているうちに、自分の母校ではないのに、何故かなつかしささえ覚えた。
 数年後に創立百三十年を迎える学校には、卒業生もたびたび訪れてくる。ほとんどが高齢である卒業生たちは校内を巡った後、なつかしそうな表情を浮かべ一様に語るのだ。「昔のままですねえ」と。そして「元気をもらいました」と、うれしそうに学校を後にしてゆく。そんな姿を見るたび、学校の思い出というのは、つまるところ校舎の思い出なのだと実感する。そして新しさや速さ、効率性や機能性ばかりがもてはやされる今、変わらないで古いままであるということは、とても貴重なひとつの価値なのだと思うのだ。
 今年わたしは「古くてもキラリと輝く校舎・歴史を感じさせる学校」ということを仕事の目標のひとつにした。確かに今の校舎は日中も暗く、冬は教室内で二台のストーブを焚かなければならない日さえある。そんな教育環境を少しでも改善するよう努める一方で、古い校舎ということを逆手に取り、ひとつの価値を生み出すことが出来ないかと考えている。今ある「古さ」をマイナスとしてだけでとらえるのではなく、プラスの価値として活かす発想だ。
 つまり、百三十年もの歴史だけでなく、西部地区の財産である様々な文化や景観を共有しているこの学校(=校舎)を、歴史的かつ建築的な視点からとらえ返し、活用させてゆくことが出来ないかと思っている。
 この校舎は今学んでいる子どもたちにとっても、やがて心の財産になってゆくはずだし、子どもたちが大人になり、再びこの学校を訪れた時、その変わらない「古さ」の中に自分の出発点を見つけたり、励まされたりもするのではないか。そんな、卒業生や地域住民の精神的な拠り所としてあり続けることも又、学校の役割のひとつのように思うのだ。

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