出発の春

 ようやく春が来た。
 春の到来はなにかウキウキした気分にさせる。四月になれば新しいなにかが始まりそうな、そんな期待感を抱かせるからだ。ある意味で四月はリセットする機会であり、新たな出発の時でもある。人によってはその時が、年の初めの一月なのだろうが、年度というサイクルで生活している者には四月のほうがしっくりくるし、芽吹く春という季節が出発という時をより強く印象づけるようにも思う。
 毎年、この時期になると十八歳の春の頃のことを思い出す。都会へ出てゆくことの期待と親元を離れて一人で生活してゆくことの不安とが微妙に入り交じっていた頃のことだ。つい昨日まで窮屈な制服の中に、はち切れそうな身体を閉じこめられていた同級生の女の子たちが一斉に制服を脱ぎ捨て、ミニスカートで街中を闊歩していた。そんな彼女らが目の前に現れた時、どぎまぎして目のやり場に困ったものだ。まさしくわたしたちは大人への入口に立とうとしていたが、旅立つことの不安よりも、自由とか夢とかへの期待感でいっぱいだった。
 東京へと出発する日、桟橋まで同級生たちが見送ってくれた。心細さをいっそう募らせるような「蛍の光」のメロディ。故郷への未練を断ち切れと言わんばかりの出発のドラの音。希望の高鳴りと反比例するかのように、指先でクルクルと回りながら残り少なくなってゆく紙テープ。次第に小さくなってゆく友人たちの姿と遠ざかる函館の街。船室の丸い窓から、函館山の裾野に広がる西部地区の街並みと坂の上にある高校の建物が見えていた。つい一ヶ月前まで、あの校舎の屋上から金網越しに、今自分が乗船している連絡船をいつも眺めていた。
 青森に着くと長い連絡橋を急ぎ足で渡り、上野行き急行「八甲田」の二等寝台の最上段にもぐり込む。翌朝、浅い眠りから覚め、窓の外に目をやると朝陽に照らされてキラキラ光る水田や茅葺き屋根の家々が見えていた。やがて汽車が隅田川の大きな鉄橋を渡ると、今はない東京球場がその姿を現し、都会の景色が次々と目に飛び込んできた。そんな半日以上もの長旅を経る中で、わたしは少しずつ過去から未来へと気持ちを切り替え、東京に来たことを実感していった。
 そして、この春。こんなわたしの感傷を一笑するかのように、わが十八歳の息子はビューンとひとっ飛びで東京へと出発する。


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