海炭市叙景

 昨年の暮れ、佐藤泰志の妻の喜美子さんから年賀状欠礼のハガキを受け取った。佐藤の父親が昨年一月に亡くなったためだった。佐藤の両親は一五年前、息子の泰志を失ったのだが、実はその前年に娘も亡くしていた。そのハガキを読みながら、改めて相次いで子どもを失った親の気持ちと、そしてそれからの夫婦二人だけの日々のことを思った。
 佐藤の遺作となった「海炭市叙景」の最初の章は兄と妹のふたりの兄弟の物語だ。この小説は次のように始まる。
「待った。ただひたすら兄の下山を待ち続けた。まるでそれが、わたしの人生の唯一の目的のように。今となってはそう、いうべきだろう」
 元日に函館山(と思われる山)の山頂で初日の出を見た後、歩いて下山するという兄を、妹はロープウェイの山麓駅で何時間も待っている。だが、兄は結局戻らず、後日雪の中で遺体となって発見される。
 今、改めてこの小説を読み返してみると、作中のこのとても仲の良い兄弟が、まるで実際の佐藤とその妹のように思えてくる。ただ、この小説の中で死ぬのは兄だが、佐藤がこれを書いた一年後、実際に亡くなったのは妹のほうだった。佐藤は妹のこの突然の死に大きな衝撃を受け、その気持ちを友人への手紙にこう綴った。
 「一月、浦河にいた妹が急死しました。ふたりきりの兄弟だったのですが。残念で残念で、浦河から帰って一週間ほど、泣けて泣けて仕方ありませんでした」
 その翌年に起きた佐藤の自死の原因は本人にしか分からないが、この妹の死も少なからず影響していたのかもしれない。  
「海炭市叙景」の中に次のような描写がある。
「はにかんだ表情を一度心に沈めこんで、それを見せまいと皮肉っぽい口調になる。それが、わたしの知っている兄だ」
 作中の妹が語る兄のこの表情はまさしくわたしが知っている泰志であり、実際に妹に見せていたその姿だったにちがいない。彼は心から妹を愛していたのだ。
 先日、降りしきる雪の中、東山墓園に行ってきた。降り積もった雪をかき分け、ようやく佐藤の墓を探し出した。墓に積もっていた雪を手で払ってゆくと、裏側に刻まれている文字が姿を現した。そこには四十二歳の泰志の名前の隣に、九十一歳の父親の名が新たに刻まれていた。 


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