教訓T

 命はひとつ人生は一回/だから命をすてないようにね/あわてるとついフラフラと/御国のためなのと言われるとね
 青くなってしりごみなさい/にげなさい/かくれなさい (「教訓T」)

 何気なくテレビのチャンネルをまわしていたら、懐かしいフォークシンガーたちの歌声が聞こえてきた。その中に加川良の姿があり、わたしは思わず画面に見入ってしまった。
 1970年代中頃、彼の歌は一部の若者の間で絶大な人気があった。当時の若者が持っていた反権力や反骨の精神を、肩を怒らすことなく風刺とウイットを効かせた詞にした彼の歌は、「政治の季節」が終息し始めて行き場を失いつつあった若者たちの心をつかんだ。
 あれから三十年、しわが増え、すっかりオジサン顔になっていた加川良が代表曲「教訓T」を歌っていた。久しぶりにその歌を聴いたわたしは、外面は変ってもなお変わらない彼の一貫した姿勢を感じる一方で、この三十年あまりの間で大きく変容した日本の姿を思い、そして、最近あったその象徴的な出来事を思い返した。
 それは、大した抵抗もなく派遣延長された自衛隊のイラク派遣とイラクで拘束され殺害された香田証生さんのことだった。香田さんが拘束された時、政府やメディアは「自己責任論」を展開して、その責任や義務を放棄し、多くの国民も(このわたしも)また、その流れを黙認した。こうした動きが結果として香田さんを見殺しにした。
 一方、フランスでは政府の粘り強い交渉の結果、二人の人質が二か月ぶりに解放された。パリの空港では大統領を先頭に国を挙げて二人を出迎えた。もちろん、そこでは自己責任論などは出てはこなかった。これは、ひとりの人間の命を大切にする国であるかどうかの根本の問題である。
 今の日本では、加川の「教訓T」も高田渡の「自衛隊に入ろう」も社会風刺や将来への警句といったその歌が持っていた意味を失ったかのように見える。その歌を笑えないような現実が急速に進行しつつあるからだ。
 番組の最後に全員が登場し、三十年前は若者であった中高年を中心とする観客と一緒に「戦争を知らない子どもたち」を歌っていた。だが、中高年諸君よ!青春の思い出や感傷に浸っているだけでいいのか?まさしくこれらの歌を歌ってきたわたしたち中高年世代が、今のこの現実を作ってきたのではなかったのか。


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