無知の涙

 同世代の動向が気になることがある。しかもそれが自分と同じ年に生まれた者となればなおさらだ。さらに、それが故人ならば、よりその思いが強くなる。「あいつが生きていたら、どうするだろう」「あいつだったら、なんと言うだろうか」
 わたしにとってのそのあいつは佐藤泰志と永山則夫だ。この二人に共通するのは「普通」の死に方をしなかったことで、そのせいもあり、彼らは気になる存在としてあり続ける。
 わたしと西高で同期で四十一歳で自死した佐藤については、これまで何度も述べてきた。連続射殺事件犯として死刑執行を受けた永山については、かつて「裸の十九歳」というタイトルでここに書いたこともある。
 先日、その永山についての道新の記事を読み、彼のエピソードを思い出した。永山はいっこうに本質に迫らない裁判に苛立ち、「トーコーダイに戻って勉強したい」と発言する。意味がわからない裁判長が「東工大(東京工業大学)ですか?」と聞き返す。永山は怒りに震え「おれは東拘(東京拘置所)で勉強している。こういう事件を起こしたのは俺が貧乏で無知だったからだ」と絶叫する。
 拘置所で永山は、河上肇の「貧乏物語」に始まり、カント、ドストエフスキーを読み、さらにマルクス「資本論」全八巻を読破する。中学校さえまともに卒業していない永山にとっての大学は、まさしく拘置所の独房だった。当時、「資本論」第一巻の序文で脆くも挫折していたわたしは、彼の著書「無知の涙」でそのことを知り、大いにショックを受けたことを覚えている。
 永山は七飯で第三の殺人を犯した後、青函連絡船に乗るため、深夜徒歩で函館に向かう。当時京極通りにあったロマン座で「西部戦線異状なし」を見ながら朝を待つ。その映画のラストシーン、戦場でのつかの間の休息中、若い兵士が羽を休めた蝶にふと目を奪われ、そっと手を伸ばす。その時、一発の銃声が鳴り響き、彼は即死する。その場面を永山はどのような思いで見ていたのだろうか。
 すでに幽明界を異にする二人が今生きていたらと考える。佐藤には「海炭市叙景」の続編となるような、老いを迎える団塊世代の現在を描いた作品を書いてほしかった。永山には「理由なき殺人」というレッテルを貼られたまま早すぎる死刑が執行された宅間元死刑囚のことや、塀の中から見た今の日本の姿について聞いてみたかった。


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