待つということ
ケイタイもポケットベルもなかった時代、どんな駅にも伝言板というのがあった。そこには「○時まで待った。○○にいる。○○」といったメッセージが、所狭しとチョークで書かれていた。伝言は六時間経つと消さなければならないほど、次から次へと利用されていたように思う。それくらいその頃は、待ち合わせするということは労力のいることだった。
そう言うわたしも東京に住んでいた頃、待ち合わせで苦労した一人だった。新宿駅で会おうと約束したものの、お互いが西口と東口で待っていたことや、一二時を二時と勘違いしたことなど、待ちぼうけやすれ違いの実績は充分なほどある。だが、あの頃はみんな一時間やそこら待っていることは当たり前だった。わたしなんぞは、相手をどのくらい待っていられるかで、相手に対する自分の思いの強さを確かめられるのだと、本気で思っていたくらいだ。
今、伝言の手段は手紙から電話に、そしてケイタイや電子メールに変わりつつある。人と人との間を緩やかに流れていた時間が、瞬時のスピードに変わった。そのことで、待ち合わせのトラブルは減ったであろうし、待つということ自体、少なくなったに違いない。それは確かに進歩である。だが、待ちぼうけやすれ違いといった時間的なズレが、時には様々な人間ドラマを生み出したりもするのだと、へそ曲がりのわたしは思ったりする。つまり、ケイタイの時代では「君の名は」のようなドラマは生まれようがないのだ。そして今、速さという恩恵を手にしたわたしたちは、その代償として「待つ」ということがとても苦手になってしまったようだ。
待ち合わせの喫茶店で、お代わりしたコップの水を何度も口にしながら、ずっと入口の自動ドアが開くのを見つめていたあの頃。エーイ!と思い切ってポストの中に投げ入れた手紙の、その返事を四六時中待ち続けていたあの頃。期待と不安とが交錯していたその時間は何ともまどろっこしく、いつも悪い方の妄想ばかりが膨らんでいった。しかし、今になって思えば、そんな無駄とも思えるような待っていた時間から、わたしは人生の機微のようなものを学んだような気がする。
だが、そんなことを言っていると、待ちぼうけなんて知らない、瞬時にピンポイントで相手とつながることが当たり前になっている今の若者たちに、一笑に付されてしまうのが落ちなのであろう。
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