きれいな死などあるのか?
 
 たくさんの若いカップルの中に埋もれながら「セカチュー」こと「世界の中心で、愛を叫ぶ」を見てきた。大ベストセラーとなった小説を映画化したものだが、八〇年代の地方に住む高校生の姿がみずみずしく表現されていて、清々しさとある種の懐かしさとを覚えた。だが、宣伝文句にあった「感動と感涙の嵐」には最後まで遭遇することはなかった。それはわたしが若くないことの証明でしかすぎないが、それだけでなく、この作品の根底にある白血病=不治の病=きれいな死=純愛という図式に多少違和感を抱いたからだ。
 昭和三十年代後半、「愛と死を見つめて]という本が大ベストセラーとなった。これは軟骨肉腫という難病の女性とその恋人との間の書簡集だったが、それはやがて歌や吉永小百合主演の映画にもなり、これも大ヒットした。この「愛とー」は「セカチュー」とは異なり実話だったが、それでもそこには不治の病=きれいな死を美化する商業的な意図が作る側にあったように思う。
 これらは「難病もの」と呼ばれ、いわゆる病気小説の範疇に入る。日本の近現代文学には貧乏小説、戦争小説、病気小説などの伝統的なジャンルがあった。だが、赤貧や階級格差が表面上無くなって貧乏小説が消え、「戦後は終わった」と言われる中で戦争文学も沈滞し、そして結核に代表された病気小説も治療法の発見により急速にすたれていった。
 近代文学史の流れをさかのぼれば、多くの文学者たちが当時は不治の病とされていた結核との闘いを余儀なくされた。国木田独歩、石川啄木、堀辰雄など多くの作家が結核で死んだが、作品の中にもその病気の「暗い影」は色濃く反映していた。彼らはまさしく命を削りながら書き続けた。だが、それは裏を返せば、書くことの根拠に結核=死があったとも言える。不治の病と向かい合うことで死への恐怖や生への執着が生まれ、そこから創作意欲をかき立てた。まさしく、かつての文学は自分の命の生き死にと深く結びつき存在していたのだ。
 「セカチュー」のヒットに刺激され、二匹目のドジョウを狙って「難病純愛もの」が相次ぎ企画されている。生活苦による自殺者が過去最多となり、海の向こうでの戦死が現実化しそうなそんな今だから、若者たちは不治の病=「きれいな死」という純愛に憧れるのだろうか?



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