五月祭

 久しぶりにメーデーに参加した。初めてメーデーに参加したのは一九七〇年代初頭の東京でだった。明治公園や代々木公園に十万人もの労働者や市民が集まっていたが、泥沼化しつつあったベトナム戦争への危機感などなく、お祭り気分の参加者をわたしは冷ややかな目で眺めていた。
 花見客で賑わう五稜郭公園界隈をデモ行進しながら、「いったいこれで何がどう変わるのだろうか」とわたしは自問し、読んだばかりのエッセイのことを思い起こしていた。それは先の芥川賞に選ばれた若い二人の女性の作品に触れて書かれた、堺屋太一の「アプレ・バブル世代の出現」という文章だ。
「デモ行進でも、街頭演説でも、選挙の投票でも、世の中を変えられると信じる者はいなくなった。アプレ・バブルが物心がついたころから、何かを目ざして戦うという動きも、戦う人を褒めたたえる言論も、この国からは消え失せてしまった。(中略)この若者たちは何を訴えているのだろうか。おそらくそれは、あまりにもできすぎた社会への退屈だろう」
 「貧しさ」の記憶どころか高度成長もバブル経済も知らない世代のこの二人の作品には、若者特有の不安、世間に対する怒り、社会への反抗心とかは感じられない。かといって現実への満足感や将来への夢や希望があるわけでもない。もちろん、その作品が今の若者のすべてを表しているわけではないが、少なくとも今という時代の空気は実感出来る。
 戦後日本の思想の歩みを丹念に追求した労作「民主と愛国」の著者小熊英二は、戦後思想を語ることは「日本人にとって戦争の記憶とは何であったか」を語ることと同じであると定義づけた。だが、戦争体験や戦争の記憶は時の経過と共に失われてゆく。同様に「戦後」も次第に遠ざかってゆき、その一方で「戦争」や「憲法」のハードルは日に日に低くなってゆく。
 今から百年前の一九〇五年五月一日、日露戦争の最中、日本最初のメーデーの集まりが非戦論の論陣を張っていた平民社で開かれた。だがその後、大逆事件が起こり、社会運動は冬の時代に入ってゆく。「坂の上の雲」を見つめながら、ひたすら近代化に邁進してきた日本は、日露戦争でその坂を上りつめ、以後は戦争への坂道をまっしぐらに転がり落ちてゆくことになる。

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