記憶を残す・歴史に学ぶ

 今勤めている小学校がこの三月で閉校になり、十二月には市町村合併で町自体がその歴史を閉じることになった。今、閉校に伴う記念誌作成の作業を行っているのだが、古い資料や書庫に保管していた写真を整理していると、物珍しさもあってどうしても戦前の資料や写真にばかり目を奪われてしまう。
 荒れ地にポツンと建てられた木造の校舎。その側に立つコンクリート製の奉安殿。そして二宮金次郎の銅像と直立不動の姿勢で整列した子どもたちのセピア色した写真。戦争の足音が近づく昭和十四年の修学旅行の資料には、学校から一日がかりで湯川まで徒歩で行進し、翌日は重砲兵連隊訪問、函館八幡宮参拝、函館公園、NHK、丸井百貨店などとある。さらに、昭和十六年の運動会プログラムには「銃後を守って」「非常時の桃太郎」「千人針」「突撃」「日の丸の旗」という戦時中ならではの種目がズラリ並んでいる。こうしてみると、いかに戦前の教育が国家からの要請をストレートに反映したものであったかがよくわかる。 
 戦後六十年近くも経ち、「教え子をふたたび戦場に送るな」というスローガンを自らの戦争責任に対する悔恨や反省からの切実な叫びとして発していた教師たちは現場にはもういないし、戦争の記憶を持つ教師さえいなくなった。歴史は意識的に残さなければ風化するし、忘れ去られてゆく。そして、いつ同じようなことがふたたび繰り返されないとも限らない。だからこそ、その時代の記憶や記録を歴史として残し、それを伝え続けてゆくことはとても大事なことなのだと思う。
 そのことは、間近に迫っている市町村合併についても言える。それはある意味でふるさとの存亡にもかかわることだからだ。文科省発行の「心のノート」では、ふるさとを愛することの大切さをしきりに強調している。だが、一方でそのふるさとを解体しようとしているのがその国ではないのかという疑問が残る。そして、合併によって中央への集中が強まる一方、地方は置き去りにされ、先人が築いてきた地方の町や村の歴史や伝統が埋もれてゆくのではないかという不安も付きまとう。
 合併後、十年も経てば、町の姿は大きく変わってしまい、ふるさとであるこの町のことやその歴史を知っている者も、やがていなくなってしまうのかもしれない。だからこそ、ふるさとはただ懐かしむだけのものではなく、その姿を意識的に記憶に留め、歴史に残して後世へと引き継いでゆく努力が求められる。
 そのことが、過去や歴史を省みることもなく、なし崩し的に既成事実を積み重ね、やみくもに前へ突き進んでいこうとしている今の日本の現実を見るにつけ、なおさら大切なことのように思うのだ。 


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