旧友

 昨年秋の上田行きには無言館の他にもうひとつ目的があった。それは大学時代の友人のTに会い、三十年前のお礼を言うことだった。
 Tとは入学して間もなく新聞研究会の部室で出会い、すぐに仲良くなった。後でわかったことだが、二人とも店屋の息子で、姉ばかりに囲まれた末っ子だった。そんなことも気が合う理由だったのかもしれない。だが、その後、学園闘争が激しくなるにつれ、わたしは部室へ顔出すこともなくなり、Tと会う機会もなくなっていた。
 そんなある日、大学の自治会執行部選挙の応援に駆り出されていたわたしは、対立するグループからの襲撃を受けた。角材で両腕や背中を殴られ、救急車で病院へ運ばれた。幸い大けがには至らず応急処置を受けた後、病院を出た。だが、全身打撲で体中が痛み、家まで自力で帰ることが出来ず、そのままTのアパートに転がり込んだ。わたしの姿を見たTは理由も聞かず、すぐに布団を敷いて寝かせてくれた。
 それから数日間、Tの部屋で安静にしていた。その間、夢うつつに何度も浮かんできたのは、襲ってきた男のその時の表情や言葉だった。「てめえら、きれいごとじゃねえんだ!」と言い放ったのは、つい前日まで言葉を交わしていた知り合いの学生だった。寝ている間中、彼が言ったその言葉が耳から離れなかった。文学者の埴谷雄高は政治の本質を「奴は敵だ。敵を殺せ」というスローガンに集約させたが、その意味がその時ようやくわかったような気がした。そして、その頃からだったように思う。わたしが理想だとか理念だとかを追い求める運動から少しずつ足が遠のいていったのは。
 Tの姿は遠くからでもすぐにわかった。髪の具合は年齢相応に寂しくなっていたが、童顔だったその顔は昔の面影をそのまま残していた。わたしたちは一瞬のうちに三十年前に戻り、夜の街を飲み歩き、昔話に花を咲かせた。Tは卒業後実家に戻り、親の店を継いでいたが、わたしは一介の勤め人になっていた。
 「おまえはいつも、海を渡って早く東京に行きたかったと話してたよな。俺はな、ずっとこの山を越えたかったんだ」Tは少し照れたように話した。今でこそ上田から東京まで新幹線でおよそ一時間程になったが、信州に住む人間にとっての「山」は、北海道の人間にとっての「海」と同じような意味合いを当時は持っていたのかもしれない。
 別れ際、わたしが改めて三十年前のお礼を言うと、「俺はそのこと、ちっとも覚えてないんだよなあ」とTは焦点が定まらない目をして、ただ笑っていた。

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