アンダービーチ

恵山までの海岸線を走る約五〇分程の通勤の間、車窓から様々に色形を変える海の姿を見ることが出来る。四季折々変化する海の光景が季節の移ろいを感じさせ、その時々の思い出を甦らせてくれる。
 動かぬ海と動かぬ岩。昨年亡くなった室蘭出身の芥川賞作家の八木義徳は「恵山岬」という短編小説の中で、下海岸の風景をそう表現した。八木はこの作品の中で、昭和四〇年代の下海岸の風景を描いている。その頃、函館から恵山温泉までは今のように道路も整備されておらず、バスで二時間半もかかる小旅行だった。八木が描いた風景は、初めてわたしが恵山に行った時の思い出と重なってゆく。
 まだ肌寒い三月の末、わたしはようやく決まった最初の赴任地に出向くため、バスに乗っていた。恵山町がまだ尻岸内町と言っていた頃だ。東京から戻ったばかりで、おまけに函館からも遠く離れた小さな町に赴任するということで、気分は「都落ち」そのものだった。根崎を過ぎ石崎まで来ると、函館山はずっと向こうに遠ざかり、汐首岬の灯台を過ぎると、もう函館の姿は見えなかった。恵山に近づいて行くにつれ、就職することの不安と、函館から遠く離れてゆくことの寂しさとが心の中で錯綜し、窓の外に見える灰色の空と鉛色の海とが、そんな思いをいっそう重苦しいものにさせていた。
 日浦岬の岩の洞門をくぐり抜け、ややしばらく行くと、遠くに白い岩肌を表した恵山の姿が見えた。やがて、海沿いの一本道にポツンと標識が置かれているだけのバス停に着き、バスを降りた。道路の向こう側に古ぼけた木造校舎が見え、でこぼこ道のぬかるみに足を取られながら、わたしは校舎に向かった。
 着いたばかりのわたしを校長が出迎えてくれ、遅い昼食のカツ丼をご馳走してくれた。ずっと緊張しっぱなしで空腹だったことさえ忘れていたわたしは、夢中でそのカツ丼を頬ばった。
 帰り道、バスのシートに体を埋め、窓の外に広がる津軽海峡をぼんやりと見つめていた。つい一ヶ月前まではこの海の向こうで、自由気ままな生活を送っていたのだ。ずいぶん遠くまで来てしまったという思いに駆られていた。今思えばあの時、青春の終わりを感じていたのかもしれない。
 最近、道すがら、砂浜でサーフィンに興じる若者の姿を見かけることがある。今では、下海岸は彼らにとって、絶好のサーフィンスポットになっている。そんな若者たちは無邪気に、下海岸のことをアンダービーチと呼んでいる。
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