働くことが輝く時
 
 毎朝、出勤途中に見かける光景がある。一時停止する交差点そばに青果店があり、ちょうどその頃に開店の支度をしている。それだけであればありふれた光景なのだが、そこで早朝から働いているのが若い女性で、それも今はやりのショップとかでもない昔ながらの青果店で働いているということが珍しく思ったのだ。
 ジーパン姿の二人が軍手をはめた手で次々と店のシャッターを開け、歩道に向けて屋根からひさしを掛けてゆく。どうやらふたりは姉妹らしく、息があったふたりの手慣れた仕事ぶりが実に見事で、通るたびについ見とれてしまう。楽しそうに言葉を交わしながらテキパキと働いている姿を見ていると、なんだかわたしは嬉しくなり、出勤時の重たい気分も和らいでゆく。
 そんなふたりの働きぶりを見ているうち、わたしは中学を卒業すると同時に、十字街にあった果物屋に就職した同級生のことをふと
思い出した。進路を考えることさえなく当たり前のように高校に進学したわたしは、その同級生が勤めている店の前を通る時、働いている彼の姿が見えると、下を向いてさっさとそこを通り過ぎようとした。それは同じ年齢でありながら、片方はすでに働いて生活しているのに対し、一方のわたしは親の庇護の下で温々と学校に通っているという、そんな後ろめたい気持ちがあったからだと思う。 
 そうした思いはその後に大学に行ってからも、そして学生運動をしていた頃にも心のどこかにずっと付いてまわった。それは働いている者一般に対する負い目であり、いわゆる労働者コンプレックスというやつであった。
 先日、ビデオで見た『キューポラのある街』は、働く若者や子どもたちが主役の映画だ。吉永小百合の代表作ということばかりが話題になるこの映画だが、昭和三十年代の日本の地方都市の風景やその時代の断面を実によくとらえている。 この映画の中には、集団就職や定時制高校、新聞配達や牛乳配達をしての家計の手伝いや修学旅行費の積み立てなど、まだ日本全体が貧しかった頃のエピソードが数多く散りばめられている。だが、貧しいからといってそこに登場する若者も子どもたちも決して暗くはなく、みな明るくひたむきでよく働き、表情も実に生き生きしていて豊かだ。それは物質的豊かさの中に埋もれている今の子どもや若者たちには、とうてい持ち得ないようなものだ。
 きっと、その頃の日本は貧しかったけれど、働くことの意味とか目的が揺らぎつつある今とは違い、働くということや労働者というものが一番輝いていた時代だったのかもしれない。

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