運動会
 
 六月は運動会の季節だ。日曜日には必ずと言っていいほど、どこかのグランドから歓声が聞こえてくる。運動会というのは誰にとっても郷愁にかられる存在でもある。
 運動会と聞くとわたしがいつも思い出すのは、小学校の頃のその日限りの白い運動足袋やバナナであり、中学校では紅白の花を付けたボール紙の花笠を手に踊った花笠音頭であり、高校生になってからは、秘かに思う女の子とあと少しで手をつなげると胸躍った瞬間に、いつも音楽が終わってしまうフォークダンスであったりする。
 青空に向かってグランドの中央に立てられた長いポール。ピーンと四方に張られたロープには何十枚もの色とりどりの大漁旗がバタバタと大きく風にはためいている。グランドには、楕円形のコースをグルッと取り囲むようにテントの列が立ち並ぶ。これは今わたしが勤めている小学校の運動会の光景だ。はじめてそれを見た時、わたしはある種の懐かしさを覚え、風にたなびく大漁旗を見上げていた。太宰治の『津軽』という小説の中にも、そんな運動会の場面が登場する。
「その学校の裏に廻ってみて、私は、呆然とした。こんな気持ちをこそ、夢見るような気持ちというのであろう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変わらぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行われているのだ」
 太宰は大湊の小学校の運動会場で乳母だった老女と再会するのだが、そこで見た運動会の光景に心から感動する。この運動会の場面はたいへん印象的だ。
 だが、運動会には戦争遂行と国威発揚のために利用されたという暗い過去もある。そもそも運動会の成り立ちはそこにあった。障害物競走、棒倒し、騎馬戦、マスゲームなどは戦争中の花形種目だった。だが、それはあながち昔のことだと言いきれない現実もある。一糸乱れぬ整然とした入場行進、直立不動の開閉会式、指先までピンと揃えるラジオ体操、さらには日の丸掲揚・君が代斉唱といった戦前の名残が今また、蘇りつつあるからだ。
 それでも運動会は、親の世代にとっては子どものころの思い出を呼び起こされ、子どもにとってはひとつの原風景として心の中に深く刻み込まれてゆくものとして存在する。それは家族が一堂に集まり声援を送ったり、土埃舞うグランドの上で和気あいあいと重箱をつつきあう、そんなほほえましい光景の思い出として。 運動会というのは一種のお祭りのようなものだ。だから運動会は記録会でも競技大会でもなく、いつまでもただの運動会であっていいと思うのだが。   

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