センチメンタル・ジャーニー
小春日和の一日、北村巌とわたしは三十年前に住んでいた下宿やアパートを探して東京の街中を歩き廻っていた。国電に乗り、窓の外を流れてゆく街並みを眺めながら、そして駅の階段を上り下りするたびに、三十年前の様々な光景を思い出していた。
進学のため上京し上野駅に降り立ったわたしは、激しく行き交う乗降客の流れに圧倒されその場に立ちつくした。十八歳だったその時の、初めて家を出たことの不安感と解放感。学校があったお茶の水駅の階段を駆け上って改札口を出ると、そこにはいつもビラを配るヘルメット姿の学生たちがいた。無言でビラを差し出す彼らの暗い眼差しとそれを受け取るわたしの後ろめたい思い。学校から足が遠のき、仲間からも離れて隠れるように生活していた頃、いつも鬱々とした気分で改札口に向かっていた国立駅の赤い色の三角屋根。 冬の寒い朝、バイト先へと急ぐわたしは、中野駅に向かう中央線沿いの道をゾロゾロと歩いてゆく通勤客の一群の中にいた。コートの襟を立て、寒さに震えながら急ぎ足で歩くサラリーマンたちの無表情な顔に、やがてわたし自身がなっていた。そして、東京を去る日、ボストンバックひとつ抱えたわたしは、同郷の後輩ひとりに見送られ三鷹駅から電車に乗った。それは三月とはいえ、「なごり雪」が降るような肌寒い日だった。
十一月の東京は汗ばむくらいの暖かさで、柔らかな日差しをいっぱいに受けた北村とわたしは過去の記憶を辿りながらひたすら歩いた。その時わたしたちは、長い道のりを歩きながら、同時に三十年という長い時間を遡っていたのだ。 向こうの角を曲がれば目的の建物があるという所まで来ると胸が高鳴った。だが、かつて住んでいた建物はひとつとして残ってはいなかった。それは当たり前のことで、つむじ風のような「バブル」が通り過ぎた後の東京で、三十年も前の家やアパートがそのまま残っていると考えることの方が無理な話だったのだ。
日が陰り、夕暮れの気配が色濃く漂う頃、ようやくわたしたちは家探しをあきらめ、無言で帰り道を急いだ。足にマメを作り、靴擦れで出血までしながら歩き続けたわたしたちは、いったい何を探そうとしていたのだろうか。昔のアパート探しと言いながら、実はそこに三十年前の自分を、夢や希望を抱いていたころの自分自身の姿を見つけ出したかったのではないだろうか。そして、過去の面影の残像すらないその場所に立った時、ほろ苦い青春時代の記憶も帰るべき場所もそこにはないということを改めて確認したのだった。
思い出は自分の胸の中だけにそっとしまい込んでおいたほうがいいのだ。案外わたしは、昔のアパートが見つからないことを、じつは心のどこかで秘かに望んでいたのかもしれない。
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