それぞれの函館山

 職場からの帰り道、汐首岬を過ぎると、夕陽に照らされた函館山の姿が見えてくる。そこから見る函館山は、陸から切り離された孤島のようだ。長万部に住んでいた頃、時々家族と一緒に函館に帰った。大沼トンネル抜けて坂道を下ってゆくと目の前に大野平野が広がり、そのずっと彼方に函館山が小さく見えた。その時の函館山は両手を広げて迎えてくれているように思えた。  
 学生の頃もそうだった。連絡船の中でずっと眠っていたわたしは「函館の女」の船内放送で目覚め、あわてて窓の外に目をやる。するとそこにはいつも函館山があった。船が穴間の方からゆっくりと旋回し、防波堤を過ぎる頃、函館山のふもとの慣れ親しんだ家並みがグングン目の前に迫ってくる。そこに来てわたしは函館に帰ってきたことを確信し、東京での生活を一時忘れようとした。
 人は生まれ育ったその土地から多くの影響を受ける。日常の風景は、その人の意識や考え方に少なからず影響を与えるものだ。先日、佐藤泰志の小説について話す機会があり、参考のために彼が生まれ育った松風町界隈や彼の作品の中に多く登場してくる大森浜周辺などに足を運んでみた。それらの場所に立ってみて、ある共通点に気付いた。それは、どの場所からも函館山の全景が一望出来るということだった。実際、彼の作品の中には函館山の描写も多い。泰志の原風景はまさしくそのような場所にあったのかもしれない。
 だが、わたしも泰志と同じ時代を過ごしてきたが、函館山に対する思いは彼とは微妙に異なる。函館山のふもとに住んでいたわたしには函館山はあまりに身近すぎて、彼のように対峙する存在として意識することはなかった。泰志が遠くから函館山を見つめていた時、わたしは函館山を背にし、眼の前に広がる海ばかり見ていた。
 この秋、函館山要塞の跡を探して函館山の端から端まで歩いてみた。ふもとからは見えないように配置された砲台や地下壕が、半世紀以上前のその姿をしっかりと残していて、今さらながらこの山全体が巨大な要塞だったことに驚ろいた。眼下に津軽海峡を一望出来る砲台跡に立ち、兵士たちのことを思った。真っ暗闇の山中で、いつ来るとも知れない敵艦の姿を求め、寒さに震えながらじっと漆黒の海を見つめ続けていた兵士たちは何を思っていたのだろうか。まさしくそこには観光客で賑わっている明るい顔の函館山とは異なる、暗い顔をしたもうひとつの函館山があった。 
 ふだんは意識することもなく空気のように存在している函館山だが、時としてそれは眺めている人の心の中を映す姿であったり、様々な時代を生きてきた人たちのそれぞれの思い出の中に残っている姿であったりもする。


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