「ニッポン、ニッポン!」
サッカーワールドカップの熱狂が去った。あの期間中ほど日本全体が世界というものを身近に感じたと同時に、日本というもの、もっと言えばナショナリズムとか愛国心、そして日本人である自分ということを意識したことはなかったように思う。
日の丸模様のTシャツを着た若者たちがめいめいに顔や腕に個性的な日の丸のペインティングを施し、屈託のない表情で「ニッポン、ニッポン!」と連呼する。あれほどダサイと嫌っていた君が代を、若者たちはなんのわだかまりもなく自己流の歌い方で自由に歌っていた。君が代は「歌わされている」のではなく自然発生的に歌われていたし、もちろん歌わない若者もそこでは違和感もなく一緒になって日本を応援していた。歌というのは教えられたとか、教えられなかったとかということで、歌ったり歌わなかったりするものではない。歌いたい気持ちがある時、人は自然に歌を口ずさむ。強いられた思いがある時、口から歌は出てこない。
日本が負けると若者たちは日本を応援するのと同じように「コリア、コリア!」と、隣国の韓国を応援した。そのことをマスコミは日韓の間の「壁」が若者の力によって乗り越えられたと賞賛したが、おそらくそれは一時的で表面的な事象であることはみな知っている。今回のイベントがある意味で両国間の「不幸な歴史」を一時的に棚上げすることで成立していたからだ。「不幸な歴史」はそう簡単に水に流されるものではなく、傷口を覆い隠していた「かさぶた」が何かの弾みで剥がれたとき、その傷の痛みは再びジクジクと表出してくる。だが、それでも、かつての偏狭なナショナリズムや愛国心とは無縁のように見えた今回の若者たちの行動は、新時代の日韓関係を築いてゆく可能性を感じさせてくれた。
だがその一方、世界中の目が決勝戦が行われた横浜に集まっていた同じ頃、その横浜市議会において、議場での日の丸掲揚に反対して抗議行動に出た二人の議員が、議会から除名された。それは、公立学校において、現在も止まるところがない卒業式等の行事における国旗国歌の強制の流れと同じものだ。これらの場での日の丸や君が代の意味は、日の丸・君が代に象徴されるものに同化しない者たちを異質なものとして排除しようとするところにある。それはかつて戦前の日本で大手を振っていた「それでもおまえは日本人か!」という、排外主義的な閉ざされた愛国心とつながっている。その愛国心はワールドカップの期間中に見られた、他国の異文化や多種多様さをそれとして認め受け入れた上で自己主張してゆこうとする開かれた愛国心とはまるっきり異なるものだ。
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