図書館へ行こう!
最近、図書館に出かけることが多くなった。図書館独特の適度に緊張した雰囲気が本を読んだり、何かを書いたりするのにちょうどいいのだ。つい先日、教育大学の図書館に行った時のことだ。早朝だったせいもあり館内はガランとしていたが、ポツンと一人で机に向かっている男子学生がいた。その姿を見た瞬間、忘れかけていた思い出が蘇ってきた。
東京での生活に終止符を打とうとしていたその頃、わたしはアパートの近くにあった中野図書館に通いつめ、提出するあてもない卒業論文を書いていた。それは島崎藤村の「夜明け前」を題材にした幕末期の思想についての小論であったが、当時わたしは主人公の青山半蔵の生きざまに自分自身の姿を重ね合わせようとしていた。その論文を書くことで、東京での生活に踏ん切りを付けようとしていた。まさしくそれはわたし自身の「東京からの卒業論文」だったし、論文を書き上げたその中野図書館こそが大学の卒業式に出席しなかったわたしにとっての「卒業式会場」でもあった。
仕事に就いてからも週末になると、下海岸の勤務先からバスで二時間かけて函館に戻り、市立図書館に通った。一介の勤め人に徹しきれず、焦り苛立つ気持を図書館に通うことで紛らわせようとしていた。だが、当然ながらそんなことは長くは続かず、東京への未練が次第に薄れてゆくと共に、やがて図書館からも自然に足が遠のいた。
小学生の頃、学校の地階にあった図書館はわくわくするようなワンダーランドだった。なにせそこにはアルセーヌ・ルパンや少年探偵団のシリーズがすべて揃っていたし、自分では買えなかった天体や宇宙の図鑑が数多くあった。図書館の扉を開ける時、そんな本たちに出会う喜びに胸が高鳴った。 高校生になると図書館はつかの間の息抜きの場になった。受験勉強を名目に通いつめ、ぼんやりと片思いの女の子を眺めたり、友だちが語るベトナム戦争や学生運動の話に耳を傾けたりしていた。函館山の中腹にある校舎のさらに山側の端っこにあったその場所で、わたしたちは眼下に広がる海の向こうで起きている出来事や自分たちの未来について熱く語り合った。 今、勤務先の小学校で「図書館へ行こう!」計画を担当者と練っている。読書離れとインターネットに押されがちで今ひとつ人気のない図書館に、もう一度かつての活気と輝きとを取り戻したいと思っている。過剰なほどの情報の大波にさらされて今にも溺れてしまいかねない子どもたちに、これからの人生の指針を示す羅針盤となるような本に出会ってもらいたいし、本に囲まれた空間の安らぎをも同時にそこで感じ取ってもらいたいと思うのだ。
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