ベトナムから遠く離れて
一九六〇年代後半、東京は「ベトナム特需」による好景気で大いに賑わっていたが、その一方で戦争の影というものも色濃く引きずっていた。王子にあった米軍野戦病院にはベトナムからの傷病兵が次々と運ばれ、横須賀では空母や駆逐艦が頻繁に出入港し、米軍のジェット燃料を積んだ貨物列車が真っ昼間、堂々と街中を行き来したりもしていた。だから、ベトナム戦争は決して海の向こうで起こっている遠い国の出来事とは思えなかった。当時の多くの若者はそんな日本のあり方や「繁栄」そのものに疑問を抱き、立ち上がった。 今回、ベトナム戦争における米軍の内幕を描いたコッポラの「地獄の黙示録」が完全版という形で二十二年ぶりに再上映された。この映画はその後に公開された「プラトーン」などと共に、アメリカによるベトナム戦争の総括のような映画だった。これらの映画でわたしたちは、戦争によって生み出される狂気と精神的荒廃について思い知らされた。アメリカはこの戦争の敗北から、戦争というのは人心を荒廃させるだけで、問題解決の手段にはならないことを学んだものと思った。だが、その後の湾岸戦争や現在のアフガン戦争を見ると、それは思い違いだったと言わざるをえない。兵隊を現地に降ろさない。地上戦はしない。ハイテク技術で敵を捜し出し、上から叩く。つまり、ベトナム戦争からアメリカが学んだのは国内からの批判が出ないような、自国の兵が死ぬことのない戦争のやり方だった。
ベトナム戦争はある意味でまだ「人間臭さ」が残っていた戦争だった。そこでは人を殺すことの罪悪感のようなものが存在する余地があったからだ。だが、「湾岸戦争」以降、戦争はテレビゲームやCGの世界で行われているかのような錯覚に陥る。敵は画面上に映る記号のような点として存在し、その実像を肉眼でとらえることもないまま相手を殺すことも可能になった。それは「殺人」ではなくコンピュータ用語で言うところの「消去」である。そこでは生身の人間を殺すことの痛みとか罪の意識とかを感じることもない。個々の人間の営みが見えず、息づかいが聞こえてこない戦争はいとも簡単に開始され、拡大されていきかねない。
今、そんな危険性を国会で審議されている「有事法制」にも感じる。かつて日本が起こした戦争に対する痛苦な反省の中から生まれた平和憲法の精神をせせら笑うかのような、情報操作とハイテク操作に秀でた者たちによる机上の有事論議が蔓延っている。「地獄の黙示録」は、そんな日本の、そして「9・ 」以降のアメリカを中心とした世界の有り様を告発している映画のようにも思える。
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