さとうきび畑
森山良子の「さとうきび畑」というCDを聴いている。あの「ざわわ、ざわわ」という曲である。森山はこの歌を、沖縄が本土復帰する前から、もう三十年以上も歌い続けてきた。この歌を聴いていると、沖縄の風景が目に浮かんでくる。南部戦跡を訪ねる車中から見た、高く伸びてユラユラと風に揺れていたさとうきび畑。「平和の礎(いしじ)」がある摩文仁の丘の上から見た、どこまでも青い海の色と断崖に向かってヒタヒタと押し寄せてくる白い波。沖縄戦の展示を見たばかりのわたしには、その白い波がまるで島に向かって次々と侵攻してくる米軍の上陸用舟艇のように見えた。
この歌を作った寺島尚彦は自分の背丈よりも高く生い茂ったさとうきび畑を歩いてゆく途中、頭越しに轟然と吹き抜けてゆく風の音に驚かされた。そして、その風の中に、その地で死んだ多くの戦没者たちの怒号と嗚咽が聞こえたような気がした。それから寺島はずっと、その風の音を表す言葉を探し続けた。それが「ざわわ」だった。国内で唯一、地上戦を体験した沖縄の悲劇を忘れないために、戦争を知らない世代にそのことを伝えるために、この歌は実に六十六回もの「ざわわ」を必要としたのだ。
沖縄を舞台にした映画「ナビィの恋」、NHK朝の連続ドラマ「ちゅらさん」が人気を呼び、多くの人が「明るい沖縄」に目を向けた。わたしもこれらのドラマが好きだったが、どちらにも沖縄戦のことが出てこないことが不満だった。それが今、沖縄の保守層を中心に展開されている「沖縄イニシアティブ」という、過去にとらわれない現実対応路線の影響なのかどうかはわからない。しかし、沖縄戦の記憶はそれがどんなに暗くて辛いことであっても伝え続けていってほしいと思う。沖縄が抱えている問題は決して沖縄だけの問題ではなく、この日本全体の問題でもあるからだ。
米軍基地問題解決の期待を担って一昨年開催された沖縄サミットだったが、守礼の門を図柄にした二千円札や安室奈美恵の歌に目を奪われている間に、ヤンバルの森や辺野古の海は乱開発され、普天間基地の移転はいつのまにか一千億円の北部振興費とセットになった辺野古の海上ヘリポート基地建設にすり替えられた。沖縄は「疑惑のデパート」議員や外務省、土建屋、芸能プロダクションなどに食い物にされただけだった。
森山がこの歌を録音した直後、期せずしてニューヨークでの同時多発テロが起き、アフガンでの戦争が始まった。「明るい沖縄」は一夜にして「基地の沖縄」に逆戻りした。そんな時だからなおさら、この歌で繰り返される「ざわわ」という言葉に込められた平和への願いが痛く心に沁みてくる。。
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