学校防風林を守れ!

 ひょんなことから、学芸会の劇の脚本を書くことになった。
 きっかけは一年前に聴いた恵山町史編纂室編集長の「笠置艦事件」についての講演だった。内容は尻岸内川沖で座礁したまま放置されていた日本海軍巡洋艦「笠置」の引き上げにまつわる話だった。かいつまんで言うと、太平洋戦争の末期、金属不足を補うための国の金属回収方針により、ずっと海中に放置されていた笠置艦も引き上げられることになり、トロッコ線路が小学校裏に敷設されようとしていた。しかし、それが学校防風林をすべて伐採する内容であったため、当時の校長はそれを認めれば後々まで禍根を残すとしてその計画に強く反対し、最終的に計画を変更させたという事件であった。
 その講演を聞いたわたしと当時五年生の担任だった教師は、あの戦時中に「お国」の命令に反し、職を賭けてまで教育環境を守ろうとした気骨ある校長がいたという事実にいたく感動した。そして、その若い担任はその出来事を地域教材として取り上げ、子どもたちに伝えようと考えた。そこから学芸会の取り組みは始まっていった。
 担任は「総合的な学習」の時間に、笠置艦が座礁した場所や学校防風林に子どもたちを連れて行き、劇のイメージづくりをすすめていった。脚本は担任の相談に乗っているうち、結局わたしが書くことになり、わたしは町史編纂室に何度か足を運んだり、笠置艦の一部が河口付近にあった時のことを覚えている漁業を営む保護者や同僚の公務補から当時の話を聞いたりした。そうこうしているうちに、学芸会の一ヵ月前にようやく脚本が完成した。タイトルは「学校防風林を守れ!」。それから一気に劇づくりは進んでいった。担任は連日、子どもたちとのセリフげいこに奮闘し、わたしは、船が座礁した場所や防風林をデジカメで撮影し、当日OHPで舞台に映し出せるようにパソコンに取り込んだり、効果音をMDに録音したりした。 
 練習の間ずっと、橋田寿賀子ばりの長ゼリフに悪戦苦闘していた子どもたちだったが、学芸会当日は見事に役を演じきった。舞台を見ながら、わたしは自分が書いた脚本がひとつの形に結実してゆくことの充実感と同時に、学校事務職員としての小さな満足感も味わっていた。それは自分なりに整備してきた教材や備品が劇中でそれぞれ適材適所、活躍していたからだ。
 ひとつの劇を創り上げることと地域での学校づくりを押し進めること。それらに共通して欠かせないものがある。それは立場の異なる者たちが、目標実現のためにその領分を超えて協力・協働してゆこうとする姿勢だ。そしてその姿勢は、もしかすると学校防風林を守ろうとしたあの時の校長や教職員、そして当時の村民たちの姿勢と、どこかであい通じるものなのかもしれない。
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