正義感のゆくえ

 典型的なノンポリ(政治的無関心派)だったわたしが、学生服の胸に「殺すな!」と書かれた白いバッチを付け始めたのは高校三年生の秋だった。そのころ校内では、防衛大学校の入学説明会に反対する集会などが政治的関心の強い生徒たちの手で開かれたりしていたが、わたしはそれを遠巻きに見ている一般生徒のひとりだった。小学生の頃には函館港に入港したアメリカの空母や潜水艦の体験乗船などがあると進んで参加するなど、わたし自身ずっとアメリカが掲げていた正義を疑いもしなかった。
 そんなわたしが、アメリカのベトナム侵略に反対する「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の白いバッチを付けて登校した時には、少なからず驚きの声が上がった。あの時、何故そんな行動を起こす気持ちになったのだろうか。当時、テレビのニュースは泥沼化しつつあるベトナム戦争の状況を連日伝えていたが、わたしは戦争によってもたらされるむごたらしい現実に心底から怒りを覚えていた。と同時に、その現実に対し傍観者でしかなく、安全な場所でぬくぬくと受験勉強している自分に苛立ちを感じていたように思う。受験で上京した時も「ベトナムに平和を!」という文字を白いテープで貼り付けたカバンを肩から下げて街中を歩いたりもした。今から思えば、それらはなんとも自己満足的な行為であったが、それはすべて「何かしなければ」という正義感から発した行動だった。
 その頃のわたしには、そんな正義感だけでは世の中は変わらないこと、それどころかそんな純粋な正義感こそが、実は一番やっかいなものにもなりうるということなどわかるはずもなかった。つまり、どんなに純粋な正義感から発した行為であっても、ひとつその歯車が狂った時、それは正義とは正反対のものに転化しうることさえあるということなのだ。
 わたしがそのことを冷厳な事実として受け止めたのは、後になって起きた連合赤軍による同志リンチ殺人事件での多くの若者たちの無惨な死を見てからだった。この出来事は、若者の正義感から発した理想とか「あるべき姿」を求めようとする思想や運動自体の終焉を意味していたようにわたしには思えた。そして、その後も中国文化大革命での紅衛兵による知識人などへの迫害やカンボジア・ポルポトによる住民の大量虐殺など、同様の悲劇は後を絶たなかった。
 今、アフガンで戦争が続いている。たとえ双方にどんな立派な大義や正義があろうと、そんなものとは無関係に死に追いやられる人々は存在するのだ。だから、テレビに映る若者や子どもたちの正義感に燃えたその真剣な眼差しを見るたび、わたしは複雑な思いにとらわれてしまう。そして一方、わが国の若者たちは、正義感などとっくの昔に捨て去ってしまったとでも言いたげな無関心さを装い、今日も街中をさまよっている。

 

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